4、 ヲシテ(ホツマ文字)の使われていた時代に遡るため、古い文字体の再現を試みる。
ア、イ、ウ、エ、オ |
あ、い、う、え、お、とは、日本語の音韻の五母音を意味しているだけに止まるものではなかった。
あ、い、う、え、お、は宇宙を構成している五要素をも意味していた。
あ、は、ウツホであり、い、は、カセであり、う、は、ホであった。
そしてえ、は、ミツであり、お、は、ハニをそれぞれに意味し、またその実体であった。
日本語の動詞の語尾変化の活用の発生の要請は、このことに起因したのであろう。土から水分を除去したところのハニを意味するお、には、通常は動詞活用が及んでこない。
なお、蛇足ながら、日本古代でのハニは、固形体を意味している。漢字での‘埴’とは粘土(『説文』)のことなので単純に置き換えると意味の変化がおきてしまう。
出典個所は、『ホツマツタヱ』18アヤ10頁にある。
アメ オ シル |
アメツチ(天地)の成り立ち、つまりヒ(太陽)やツキ(月)など天体の運行、ひいては自然の移り変わりの法則を知ることこそ大切である。ということを意味している。出典個所は、『ミカサフミ』の「トシウチニナスコトノアヤ」の12頁にある。
トシウチニナスコト、つまり年中行事は、漢字国字化時代よりももっと古くからわが国でおこなわれていたことを確認できる根拠を得たことになる。このアヤ(章)は、トヨケ(タマキネ)の語ったことを記述したと、前文に記されている。トヨケとは、八代アマカミのアマテル(漢字国字化時代になって天照大神)の、祖父にあたる。今の伊勢神宮の外宮にお祭りされているお方である。
ヨロ イ サキ |
ヒトシズク より ながれ まし |
八代アマカミのアマテルの述懐の言葉である。
『ホツマツタヱ』23アヤ(章)29頁に出典する。考古学の時代区分でいうと、縄文時代から弥生時代にかけて、‘ハタレの乱’に世の中が苦しんだことがあった。
混乱発生の土壌は、時代の流れによって醸成されていたのではあった、が、直接の引き金になったのは、アマテルカミの身内のイザコザに端を発した。最初にはっきりと良し悪しを示しておいたならば、と、後日になって、お口からもれ出たお言葉であった。
<真実性の根拠>
古事記・日本書紀との原文での比較対比をおこなった。 この結果、古事記・日本書紀はホツマツタエを原本として編纂されたことが明らかになった。 詳細は、『定本ホツマツタエー日本書紀、古事記との対比ー』(展望社)にて公開した。論考書として、『ホツマツタエを読み解く−日本の古代文字が語る縄文時代ー』(展望社)が詳しい
『ホツマツタヱ』24アヤ(章)34頁および、『朝日神紀』1巻46枚目ウラ、に出典する言葉。サルタヒコが自らの去就について語った場面でのことであった。
現代からは、2千年ちかくもの昔に遡る古いヤマトコトバには、包含されている意味合いが大きい。
“ヨロイサキ”とは、詰まるところ「民衆の幸福のためならば」ということを指すことに気がついたのは、私にあっては、実に30年ほどを要した。
本当の日本への回帰、ヲシテを記すことによって、長い年月の遡上を試みる。
平成19年(2007)9月17日 更新版、(C). 池田 満
ヲシテ文献
アミヤシナウ |
ダケ ノ イワクラ |
『ホツマツタヱ』22アヤ(章)8頁および、『ミカサフミ』123頁、に出典のある言葉。難解な古語でもある。22アヤでは、暦に関係することが解かる。さらに『ミカサフミ』の123頁の“ミカサフミタカマナルアヤ”で‘ソヒノキミ’のうちに数えられることが解かる。
長年の試行錯誤のうち、アにはノをおくり、ミにはニをおくり、ヤにはノを、シにはオを、ナにはフを、ウにはルを送り補うとだいぶ解かり易く考えられるようになった。現代語への当てはめについては、もう少しの時間のご猶予をお願いしたい。日本のヲシテ時代の古語には深遠な深い意味合いが秘められている。このことを近頃とくに強く思う。
『ホツマツタヱ』24アヤ(章)34に典拠のある言葉。
現実の場所としては、滋賀県の高島町の岳山であろうと想定することができる。
それよりももっと私たちが知るべきは、サルタヒコの心であろうと判断できるのではないか。
詳細のことは『縄文人の心を旅する』134頁〜165頁に記したので御参照願おう。
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