<新発見の文献>   
  日本の漢字以前に使用されていた、ヲシテ(ホツマ文字)によって編纂されている文献。1966年に松本 善之助先生によって発見された。現在『ホツマツタヱ』、『ミカサフミ』、『フトマニ』の三文献の発見がなされている。  これ以外の神代文字の類は、近世から現代にかけてつくられたものである。

日本の漢字以前の時代、つまりヲシテ時代には、ヲシテ(ホツマ文字)が使われていた。 
          この絶対的な感動と理解があってこそ、 何千年もの古代に溯ってゆける。


 千年間、山に住み、の意味である。『ホツマツタヱ』26−32に出典する言葉である。タツ(龍)の子が成長してゆくさまをあらわしていて、千年間を海に住み、次の千年間を山に住み、次に里に千年間を暮らすという。ワイキ、と、アイキ、そして、ヒトイキを悟って初めてタツキミ(龍君)となるのである。ワイキ、アイキ、ヒトイキの三つを、ミイキともいう。イ、は、心。キ、は、力(ちから)。
 この物語は、10代アマキミのニニキネが、次代アマキミのお后となったトヨタマヒメに教え導びきをする時に示された事々であった。
 ミイキの考え方の初出については、ニニキネさんの時代よりも、もっと古くに存在していた可能性もある。と、思っていたら、丹後の天橋立にある智恩寺に所蔵されている「九世戸縁起(くぜとえんぎ)」に、明瞭な伝承となって残されていた。 「九世戸縁起」は室町時代の作。そして、ヲシテ時代のミヤヅノミヤの現在地は、智恩寺の境内の中にあったと判断できる。その根拠は『大日本地名辞書』に見ることができる。
 さてさて、これは、こういう事である。トヨケカミから齎されたミイキの教えは、トヨケカミが最晩年にお暮らしになった天橋立の土地に残り、漢字時代になって「九世戸縁起」に記された。一方では、トヨケカミからアマテルカミに伝えられたほうは、さらに、ニニキネさんに伝わり、トヨタマヒメへの諭しに活用されたため『ホツマツタヱ』に記されることになった。智恩寺に伝わった伝承は、貴重なものであると判断できよう。
 お寺になんて、という人も多い、でも、本当の歴史を知ろうとすると、漢字導入期の時代にまで遡って見なくてはならない。そう、漢字を受け入れようとしていた時代、それは、考古学では古墳時代に相当していたのである。そして、続く時代においては、神仏混交(コウの漢字が見当たらないので交に当てておきます)の風潮は強く、それは、飛鳥時代からの事々であったのだ。ほんとうに。 『延喜式』(西暦、927)の神社の名鑑にあっても、“大菩薩”であるとかと言った称号が記されているのである。(延喜式神名帳には、4例ある) 私たち日本人の歴史では、本当にかなりの昔から神仏混交として、なされ続けてきていたのである。それは、それはそれは長い年月を、外国思想にまぶされて来続けてきていたのであった、という言うことになる。


6、ヲシテ書美術展−3

  モト

  アモニフル

 ソサノヲにとってのアメノミチ理解が、漸くのことで、できた時のソサノヲが詠(よ)んだウタの冒頭の5音。「あもにふる あがみのかさゆ しむのみき みちひはさまで あらふるおそれ」と続くが、このウタは特殊文字表記のヲシテが多いので原字原文での判読をどうしてもお薦めしなくてはならない。
 このウタの要諦は、ソサノヲが昔からの思い間違いを心の底から悔い改めた気持ちにある。ミノ、カサは9−1にも出展があり、蓑と笠の流浪の姿の表現である。ユ、とは被る(こうむる)意である。シムとは、心の欲求を意味していて7−57に関連の出典がある。ミキは、根本をさすのであろう。アメノミチとは、究極のところ、ミヤビのトノヲシテに根ざしていなくてはならない。このことが解るまで、ソサノヲにはほんとうに長い道のりが必要だった。

                                      平成22年(2010)4月17日 更新版、C. 池田 満
                                                            

 『ホツマツタヱ』18−22に出典する言葉。のヲシテ(ホツマ文字)を、上下逆にするとのヲシテになる.。と、言っても、即座には理解の困難なことだろう。でも、ヲシテの文字を知っていると、これは、しごく簡単なパズルで、説明をすることさへ失礼に該当してしまいそうな程である。という事は、つまり、漢字時代以前の日本を探求しようとした時には、ヲシテの文字形を知る必要が必然的に発生していることになる。このことについて、不理解であると、漢字時代以前の世界の深奥へ到達する段階には至っていないことになる。
 トノヲシテの真意は『ホツマツタヱを読み解く−日本の古代文字が語る縄文時代ー』(展望社)91ページ〜、に詳しいので、そこを参照願うところであるが、一口にいえば、ミヤビの心を根底とする他者への働きかけ、といったところとなるだろうか。
 ここでのテ、つまりのヲシテの意味合いは、のヲシテの成立への前提条件についての提示にある。ミヤビの心をもって他の人へ事を及ぼそうとした時、まずもって自分自身の自立が成り立っていなくては、なにごとも成就できるはずもない。の基(もと)には、がある。アマテルカミのお考えには、筆者はいつも敬服するところである。
 (ろ)、とは詰まるところ、現代的な表現であらわすと、自立・自主責任・自主独立の精神、あるいは自分自身のアイデンティティイと言えるのではあるまいか。

ヲシテ文献



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6、 ヲシテ(ホツマ文字)の使われていた時代に遡るため、古い文字体の再現を試みる。


  カカン ノン テン トキ マチテ

 『ホツマツタヱ』28−43、および36−22に出典している言葉である。アマテルカミからサルタヒコに贈られたこの言葉の持つ意味は大きい。現朝廷に、もしものことがあったなら、サルタヒコよ、その時は世の中を良い方向へ導いてください。と、アマテルのご遺言であったわけである。
 さて、この言葉、カカン・ノン・テンの意味するところとしては、14−5に詳しい。すなはち、カカンということは、アメミヲヤをお祭りすることにあった。ノンは、トホカミエヒタメのヤミコカミ、そしてテンにはヨソコノカミ(モトアケ)を完結させるところとなる。日本人の本当の源流に思いを馳せようとしたならば、カカン・ノン・テンを理解してゆく必要に迫られる。
 『ホツマツタヱ』14アヤは、原字原文のヲシテで、一度は読んでほしい。原字であればこそ解る真意がある、このように主張するのは今のところとして筆者だけであるのかも知れない。しかし真実とは、本当はこのように目立たなくて、じっくりしたところにあるのではないか、このように思い続けて、30年ちかくにもなった。そして、このおもいには、今に変わるところはない。 

  チホ ヤマ スミ

8、ヲシテ文献の研究方法-2

7、ヲシテ文献の研究方法-1

9、ヲシテ文献の研究方法-3

1、概要

2、原典紹介

3、解説書籍紹介

5、ヲシテ書美術展−2

10、古代日本の真原理

11、『本日本学』事始め-1

12、『本日本学』事始め-2

13、『本日本学』事始め-3

15、ヲシテ文献をやさしく-1

14、『本日本学』立学の趣旨

17、いせの会、風景

18、誤訳(漢字直訳のひどさ)一覧

19、根拠の有り無し

20、縄文日本の哲学ー1

21、縄文日本の哲学ー2

22、縄文日本の哲学−3

23、ウタ(和歌・やまとうた)−1

24、縄文文字ヲシテ、文字の意味1

25、縄文文字ヲシテ、文字の意味2

26、縄文文字ヲシテ、文字の意味3

4、ヲシテ書美術展−1

16、研究のための参考書籍

ヲシテの書のページ   「か ・ も」                  「ひ・の・も ・ ト」
               「かのめ・たのめ」
               「こ と は」
               「ひ の みたま」
               「よしよし と」
               「あもにふる」
               「よしあし お(を)」
               「か ・ も」 (松本善之助先生 書)
               「いやまひ かえす あくらいし」
               「よしあし」
               「トにウルを(オ)ヱる」

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