2、原典紹介

3、解説書籍紹介

4、ヲシテ書美術展−1

5、ヲシテ書美術展−2

6、ヲシテ書美術展ー3

1、概要

ヲシテ文献

7、ヲシテ文献の研究の方法‐1

8、ヲシテ文献の研究の方法‐2

ヲシテ文献の中での比較検討
『ホツマツタヱ』が『古事記』『日本書紀』の原書である事のご確認ができましたら、
次に、ヲシテ文献の内部の精査にかかることになってきます。
ここでは、宇宙の始まり、天地の開闢の理解について、ヲシテ文献の中身をさっぐて参りましょう。

9、ヲシテ文献の研究の方法-3


『ホツマツタヱ』→

ホツマツタヱ』の写本
での違いの文字の一覧

『日本書紀』→

『古事記』→

『ホツマツタヱ』での天地開闢は、2アヤ2ページの
      イニシエノ 、アメツチウビノ
      キハナシニ 、キサシワカルル
      アウノメヲ 、ヲハアメトナリ
      ヒノワナル 、メハクニトナリ
      ツキトナル
で始まる。ところが、なのである。
この個所は『古事記』には、一行も記されて
はいなかった。
『日本書紀』にはそれなりに翻訳されてあった。
さらに驚くのが、この個所のほかに
ヲシテ文献にはもっと詳しく、天地開闢のことが
しるされてあった。

←『定本ホツマツタヱ』
  『日本書紀』『古事記』との原文対比が付いているので
   どこが、どう違うのか一目瞭然に解かる!


『ホツマツタヱ』→
2アヤ

『ホツマツタヱ』→
14アヤ

『ホツマツタヱ』→
15アヤ

『ホツマツタヱ』→
16アヤ

『ホツマツタヱ』→
18アヤ

『日本書紀』の記述内容に近かったのが、2アヤ2頁からの個所だった。
しかし、ヲシテ文献の他の個所では、もっと詳しく記されているところもあった。
2アヤでは53文字のところが、『ホツマツタヱ』の14アヤは161文字、
さらに、『ミカサフミ』には156文字と詳細に記載されていた。
ヲシテ文献での天地開闢を調べようとしたら、2アヤだけを見ていたのでは真実には近づけない。

このようなことから、『ホツマ辞典』に記した、各用語の出典個所のページ数の所を順次にあたってもらいたい、と願う。 
これこそが、真実に近づく近道であると思う。

というのは、直訳文で満足していると、どうしても、この高度のレベルには到達が困難な実情があるためである。直訳文では、真実の扉は開かない。

『ミカサフミ』→
タカマナルアヤ

『ホツマツタヱ』→
19アヤA

←『定本ホツマツタヱ』 緒言15頁

『定本ホツマ』活用の方法
詩文体の文章で記された『ホツマツタヱ』などのヲシテ文献で、諸事の出来事の検索をするのは、手間がかかる。こんな時、『定本ホツマツタヱ』がとても役立つ。本当に便利である。
たとえば、クヱヒコのことを例にとってみよう。 奈良へ旅行したときに、たまたま久延彦神社にであった人から久延彦とは何なのか。と、問い合わせがあった。こんな時は、とにかく『定本ホツマツタヱ』にあったてもらうと良い。
漢字文献の記紀にでるものは『定本ホツマツタヱ』に総て収録してある。
このことから、ふたとうりの検索方法がある。
ひとつは、ヲシテの表記からたどる方法。もうひとつは、漢字文献の表記からたどっててゆく方法。

では、クヱヒコをヲシテから検索してみよう。用例数が少なかった事から『ホツマ辞典』には残念ながら語彙項目にたてなかったが、『索引』にて検索すると9−38に典拠のあることが判明する。

次ページへ

wosi - te と発音するのが正しいようです。 濁音に「デ」と、している写本は、本当に有りません。 wosi は、教えるの意味、 
te は手段・やり方などを意味します。                      平成19年(2007) 9月17日 更新版、C. 池田 満
                                                               

10、古代日本の真原理

←クヱヒコ

ここで解かるのが、記紀に訳出が有るのかどうか、またどのように翻訳されているのか。も解かる。また、勿論、『ホツマ』の他の写本でどのような筆記の違いが有るのかどうかも解かる。
さらに、関連の記事として9−40参照とあるので、そこを開いてみよう。

↓9−38を開く

↓9−40を開く

この2ページを見るだけでクヱヒコの全貌がはっきりする。

この検索結果を得るためにはどれほどの作業が必要か、考えてみよう。
記紀の用例の各所にあたってみる必要が有る。他のヲシテ文献の写本の総てにあたってみる必要がある。

ということは、
『古事記』『日本書紀』での久延彦の用例を検索する手間が省(はぶけ)る。
『ホツマ』の他の写本の(完写本の4本・残簡本)を調査する手間が省ける。
自動的に『ミカサ』『フトマニ』の同文個所の有無も知る事が出来る。
と言う事になる。

←『定本ホツマツタヱ』

クヱヒコ→

クヱヒコに関する
『古事記』独自文↓

これまで長く用いてきていました昭和42年発見小笠原長弘本(覆刻版)は、
親本である 和仁估安聡本(平成4年発見)と比較しますと、数千例以上にも及ぶ文字遣いの違いがありました。
このため、これからは親本の 和仁估安聡本を中心とするべきです。何しろ親本なのですから!
すべての諸本との文字遣いの違いを記載したものが 『定本ホツマツタヱ』です。

レバ’と‘レバ’
たとえば、濁音の有る無し(濁音か、清音か)で意味が180度異なってしまう例を、掲げましょう。
『ホツマツタヱ』の2アヤ4ページに ‘ウケザ(サ)レバ’の語句があります。
従来から用いていた小笠原長弘本では‘ウケザレバ’と書写されていました。
しかし、前後の文脈から考慮すると、逆説の接続では意味が通りにくいのでした。
ここのところが、平成4年に発見された和仁估安聡本を見ると、‘ウケサレバ’と、清音に筆写されており、
順接の接続になっていました。このことから、『ホツマツタヱ』の編纂時には、‘ウケサレバ’と、清音・順接であったと推定できるわけです。

根拠の有り無し、これが 好事家
レベルからの離脱に深くかかわっている。

小笠原長弘本(明治期の写本)
     (覆刻版ホツマ)

和仁估安聡本(江戸時代中期の写本)
    

『定本ホツマツタヱ』
総ての写本の筆写文字
の違いを調査して記載
してます

ザ(濁音)に
  筆写している

サ(清音)に
  筆写している
  (ヲシテの文字)

昭和42年発見小笠原長弘本(覆刻版)だけ見ていたのでは、どうしようもない間違いを膨大な数含んだままです。 また、 和仁估安聡本(平成4年発見)といえども筆写の間違いはあります。

これらを勘案して、『ホツマツタヱ』が記された当時のもともとの文字使いに溯ってゆくために、諸写本の校合したものが『定本ホツマツタヱ』です。
日本の歴史の基礎をしっかりと定めるために出版しました。


さらに、「ミハタ」という言葉があります。
「ミハタ」とは、 錦の御旗(にしきのみはた)
の「ミハタ」のことです。 
つまり、朝廷の事を指し示しています。
「ミハタ」とは、『カグミハタ』を意味することです。
決して、『ホツマツタヱ』を謂(い)う言葉ではありえない。
このことが、お解かり戴けると、 もう、‘初段’です!
まだまだ、全国でも数少ない‘初段’に! ぜひ、昇段なさって下さい!

11、『本日本学』事始め-1

12、『本日本学』事始め-2

13、『本日本学』事始め-3

14、『本日本学』立学の趣旨

9、ヲシテ文献の研究の方法
  について、例を掲げて述べます。
  その3

    ヲシテ文献(ホツマ)の世界へようこそ _ 池田 満の案内
                                     池田 満  ブログ