3、解説書籍紹介

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ヲシテ文献は、日本の将来にとって、とても大切なものであると、私は理解しています。
このため少しの妥協も容認しがたく、ややもすれば不寛容の文面に
傾きがちですが、どうぞ、どうかやむなき真意のご理解を願い上げます。
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                              平成21年(2009)12月23日 更新版.  (C) .池田 満

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22、縄文日本の哲学−3

          <真実性の根拠>
『古事記』・『日本書紀』との原文での比較対比をおこなった。 
 この結果、『古事記』・『日本書紀』は『ホツマツタヱ』を
原本として編纂されたことが明らかになった。 
詳細は、『定本ホツマツタヱー日本書紀、古事記との対比ー』(展望社)
にて公開しています。
論考書として、
『ホツマツタヱを読み解く−日本の古代文字が語る縄文時代ー』
(展望社)が詳しい。

1、概要

2、原典紹介

ヲシテ文献

4、ヲシテ書美術展−1

5、ヲシテ書美術展−2

6、ヲシテ書美術展ー3

7、ヲシテ文献の研究方法-1

8、ヲシテ文献の研究方法-2

9、ヲシテ文献の研究方法-3

10、古代日本の真原理

11、『本日本学』事始め-1

12、『本日本学』事始め-2

13、『本日本学』事始め-3

15、ヲシテ文献をやさしく-1

14、『本日本学』立学の趣旨

17、いせの会、風景

18、誤訳(漢字直訳のひどさ)一覧

19、根拠の有り無し

20、縄文日本の哲学ー1

21、縄文日本の哲学ー2

16、研究のための参考書籍

22、縄文哲学、その3

とっても良い、正論に行き着いた書評を頂戴しています、
             転載させて頂きます。 


宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
      平成21年(2009年)9月12日(土曜日)貳
         通巻第2709号 
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(略)

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  ☆書評☆ ブックレビュー ☆BOOKREVIEW ☆書評☆
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  ◎
  青木純雄・平岡 憲人著 池田 満監修
   よみがえる日本語―ことばのみなもと「ヲシテ」 明治書院
     http://www.amazon.co.jp/dp/4625634075

 明治維新の原動力である国学は、「神皇正統記」を出発点に、水戸学そして本居宣長の「古事記伝」により、集大成された。漢字・漢学という「からごころ」を去り、この民族が本来大切にしてきた「やまとごころ」に立ち戻ること、このことが、明治を革命ではなく「維新・復古」の運動にしたのであった。

 しかるに、明治維新は半ば維新であり、半ば革命となってしまった。その理由は、正史の日本書紀が漢文であったのに対して、大和言葉で書かれているがゆえに聖典視されるにいたった古事記に、致命的な問題があったからであろう。

 江戸時代半ば(1770年代)に、ひとつの古文書が見つかっている。その後も、陽の目を見ず、ようやく昭和41年になって、一般の目にふれるようになった。捏造された神代文字の一種とみなされている秀真文字(ホツマ文字)で書かれた「ホツマツタヱ」がそれである。全文五七調の長歌でつむがれたその文書の価値は、その文書を一言一句、古事記・日本書紀と精密に対照することで浮き上がってきた。記紀の原書だという価値である。

 さて、本書は、荒唐無稽なこの話に、別の角度から学術的な光をあてるものである。秀真文字(ホツマ文字)、この本では「ヲシテ」と読んでいるこの文字は、東洋の「ロゼッタストーン」なのではないか、という光である。

 日本語の起源には、様々な説があるが、ようするに「よくわからない」ということがはっきりしていることである。逆に言えば、慣習的に成立した言葉、それが日本語であるということである。しかし、中華の圧倒的な影響、仏教の圧倒的な影響、そして西洋の圧倒的な影響を受けているにもかかわらず、どうも、この国の言葉に、決定的な構造変化は生じていないようである。日本語に文法書らしきものが成立するのは、なんと江戸時代である。それまで、われわれは文法書もなく、言葉を駆使してきた。いまもなお、学校文法で言葉を考えている人は、一部の専門家をのぞき皆無である。

 ヲシテという「ホツマツタヱ」を記述している「文字」を精密に調べたところ、こんなことが分かった。
 −日本語(大和言葉)の意味が、ヲシテの「字形」で説明できる
 −文法(活用・助詞など)が、ヲシテの「字形」で説明できる
ということであり、「ホツマツタヱ」のほぼ全編が、ヲシテの「字形」のみで読み解けるという発見である。空前絶後の「文字」である。

 これまで、漢字熟語の意味は分かっていた。しかし、「公」と「ヲヲヤケ(おおやけ)」がどう違うのかとなると、突然わからなかった。「心」と「ココロ」の違いも分からない。漠然と同じだと思っているだけだ。しかし、国際社会ではそれでは通らない。漢字は中華のものであり、解釈権は向こうにあって、こっちにはない。同じなら問題を生じないが、実際、別物なのである。例えば「公」は「私欲」の調整である。しかし「ヲヲヤケ」の中には「ワタクシ」はない。「会社のものはおれのもの」が「公」。「公私混同はダメ」が「ヲヲヤケ」である。似ているようで全然違う。道理で、かの国とは話が通じないわけなのだ。

 この国際社会にあって、そして、勃興する中華帝国の門前にあって、我々は早急に、我々のエトス、思想を、解き明かさなければならない。

 その暁光が現われた。日本語というわれわれの宝を読み解く鍵、ヤマトという文明への切符、それが「ヲシテ」である、とこの本は主張する。圧倒的な事例と精緻な論理によって。

 本居宣長が遣り残した仕事、中途半端に終わっている明治維新を補完する仕事。「ヲシテ」は、亡国間際なこの民族のインテリに「ヒノモトのトミ」への覚醒を求める書である。


− その他 の 書評の紹介 −

  「博士の独り言」の書評 → リンクはこちら
   http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-2650.html

  「夕刊フジ」の書評 → リンクはこちら
   http://woshite.mond.jp/labo/modules/bluesbb/thread.php?thr=502#p4586

  「日本語の世界に一石を投じ、わたしたちはどこからきたか
   を知るてがかりにできるだろうか」 → リンクはこちら
   http://nessuno.air-nifty.com/recente/2009/06/post-679b.html

  「筆者自薦」 
 「あら、とうとう出ちゃったわね」
  「腹が出たのか?いまさら何だ」
   「・・・・・よみがえる日本語―ことばのみなもと「ヲシテ」(明治書院)が発刊されたのよ」 
   http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/50816374.html

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