柳本神父の主日の福音説教

◎5月3日 復活節第5主日 ヨハネ14章1~12節 わたしのあとに道ができる

 今日の福音はヨハネの福音から、イエスが最後の晩さんの際に語られた言葉として伝えられているものです。ヨハネの福音では、13章で弟子の足を洗ったということが記されています。そのあと、イエスは食事の席で「裏切る者がいる」と告げられ、さらにペトロが三度自分を否定することを予告されます。そして章が変わり、今日の教えとなります。

 イエスはまず「心を騒がせるな」と言われます。ペトロやユダの裏切りを告げられたあとのことなのでそのこともあるでしょうが、弟子たちはイエスが向かおうとされている運命に気づき始め、不安を感じていたのではないでしょうか。そこでイエスは「神を信じなさい、わたしをも信じなさい」と力強く言われたのです。福音朗読の際にはわたしも普通に読みますが、イエスは叫ぶように言われたかもしれません。
 ところでこの箇所は葬儀の福音朗読箇所としてよく選ばれます。「父の家には住むところがたくさんある」ということばがあの世の住まいを思い起こさせるためでしょうか。もちろん、神はあの世で限りない人々を受け入れてくださることは確かですが、今の世にあっても数限りない人々ひとりひとりに神がともにいて支えてくださいます。弟子たちのように、今不安に心騒がせている人々にとっても心の安らぎとなることばです。
 そしてさらにイエスは「道」について語られます。わたしは父に至る道である、と。「福音のヒント」によると、この道はすでに整えられている道路のことではなく、人が歩くことによってできた道のことだと書かれていました。奈良公園でも人々が歩いてできた踏み分け道をよく見かけますし、団地の裏の草むらに駅に行く近道があったりしますね。高村光太郎の詩、「道程」の「僕の前に道はない 僕の後に道が出来る」ということですね。そのとおり、父に至る道はイエスが歩いて作られた道なのです。受難と復活によってイエスは父への道を開いてくださったからです。そしてその道は真理、つまりゆるぐことのない確かなものであり、わたしたちに命を与えるものです。それはあの世の命、永遠の命のことでもありますが、生きる者にとっては、神から与えられたわたしたちの命、つまり人生をともに歩んでくださることでもあります。

 今日の福音では初めから終わりまで「信じる」ということが大きなテーマになっています。イエスは「わたしが言うのを信じないなら、業そのものによって信じなさい」と言われます。イエスが神だと信じられなくても、イエスの教え、奇跡や受難を通して表された神の国のあり方を受け入れたらそれでいいよ、ということでしょうか。信者でなくても中村哲さんのように命を懸けて人々のためにつくした人もいます。また、苦しみや不安の生活から無意識のうちに神に助けを求めている人々もいます。そのような人々とつながり、支え合うことによって神の国の福音を広げていくことこそ、イエスが言われる「もっと大きな業」なのではないでしょうか。                  (柳本神父)

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