津教会のあゆみ

1877年 創立

明治初期の洗礼台帳に洗礼第1号は「伯多祿 天花寺延春 年令四〇年 洗礼一八七七年(明治十年)」との記録があり、この年を教会の創立の年と定められました。

ヴィリオン神父

エメ・ヴィリオン 神父 (1843~1932)パリ外国宣教会

1868年に来日され、日本の教会の設立や殉教者の研究に尽力されました。津教会の創立にも大きくかかわっていたと伝えられています。在任:1880~1883くらい

……明治初期のわが国はキリシタン邪宗門の観念が強く、社会的重圧の下で、実質的に、様々な活動が展開された。主に宣教師の巡回布教であった。巡回地では、信徒が中心になって、自主的に準備をして宣教師を迎え、また、助け合いの集団を作り、私邸を集会のために提供したりした。………(カトリック津教会機関紙「津の星」第235号より)


……「フランスから来日のパリ宣教会ビリヨン神父様が京都より遠路をいとわず巡回され、神のみことばが伝えられ、初代主任司祭には初の邦人三司祭の一人ペトロ深堀達右衛門神父様が着任されるほどに当地は重要視されていた」「庭内を囲んでそびえ立つくすのきは25年間も当教会で活躍されたビロース神父様によって植えられ、その影響で名古屋大曾根教会や神戸下山手教会にもくすのきが植えられている」「機械いじりの好きなブイサン神父様、教会にテニスコートなどを作られたスポーツ好きのデルイ神父様、学者であったベルぜス神父様。このベルゼス神父様の使われたというカリスは、現在小野十益神父様に引き継がれている」……(カトリック津教会機関紙「津の星」第204号より

 

明治20年ころ建設された聖堂内部 1927年 デルイ神父
明治20年ころ建設の聖堂内部(戦災で使用不能に) 1927年11月 デルイ神父

1957年竣工の聖堂

 

 


1957年 戦後、新聖堂献堂

……「1939年(昭和14年)まではひげをたくわえたパリ宣教会の神父様方によって、その後はメリノール宣教会の神父様によって司牧されていた」……(カトリック津教会機関紙「津の星」第204号より)






バーリ神父

 

トマス・アントニオ・バーリ 神父(1909~1971) メリノール会

戦後はじめての主任司祭。在任:1945~1971。

……バーリ―神父様が、戦災で壊滅状態の津教会に戦後初代の主任司祭として就任されたのです。……神父様は駐屯軍でジープを借りて、仕事の能率向上に全力投球されました。敗戦直後の津市内ですから日本の自動車は皆無でした。無数のアメリカ軍のジープのみが津の街に溢れていました。そんな時レッドソックスの野球帽で米軍ジープを駆使するアメリカ人神父バーリ―師に街の中で出会っても市民達は彼を宣教師とは思えず「変なアメリカ軍将校だ、さすが自由の国だ、変な服装で勤務している」と囁くくらいでした。……戦時中、香良洲町に旧日本海軍の海軍工廠(潜水艦を建造する)巨大な建造物がありました。当然軍事施設として進駐軍が没収して、その廃材を津教会の再建に充当することになりました。……(カトリック津教会機関紙「津の星」特別号 [2010年1月10日発行]より)

創立100周年記念

 

 

1977年、創立100周年

1977年9月23日、秋分の日、来賓に古屋司教総代理村上真理雄神父、メリノール会管区長代理ゴールマン神父ら25名の司祭、シスター16名、伝道師5名などを迎え、記念祭が行われました。参加者は日本全国から350名にも及びました。






徳久神父

 

徳久清治 神父(1915~1979) メリノール会

在任:1967~1979

「この感激で、心に神殿を築こう」
”百年祭、創立百周年記念”ということばを、七度ではなく、七度を七十回も呼びつづけてきたような気がする。この一生涯にめったに巡り合うことのできない、めでたい祭典に参与できることは、わたしたちにとってただ感謝、感激、そして感泣で胸が一ぱいである。わたしたちは、この佳き日に、百年祭のクライマックスともいうべき式典を迎えるにあたり、名実ともに聖心教会の”創立”を新たにする決心を固めなければならないと思う。……
(「津の星」第203号 徳久神父巻頭言より)



 

 

1982年、現在の聖堂献堂

百年祭の記念継続事業であった新聖堂が完成し、1982年11月21日、新聖堂献堂式典がおこなわれました。ジャクソン師の発案で、聖堂はアコーデオンカーテンや建具で仕切ることにより、人数に合わせて多目的に利用できるように作られています。キリシタン資料館(イセタニ・コレクション)は1983年、研修館は1984年に竣工されました。

ジャクソン神父

ジェームス・R・ジャクソン 神父(1929~  )メリノール会

在任:1981~1996

新しい聖堂を建てたとき、すぐ前のルルドが気になりました。それは、聖母ご像のペンキが付着の薬を吹き付けて塗られてあり、はがれてくるのは時間の問題でした。……いま一つは、大きなご像にくらべ、ベルナデッタの像が小さく、いっしょに置かれて釣り合いが取れていなかったことです。去年亡くなりました母のために、皆さんよりたくさんのお見舞いをいただき、ご厚志のお金を何かに使いたいと考え、ルルドの聖母のご像を替えようと思いつき、合同会議に提案して話がまとまりました。……
 私は、本場のルルドへ巡礼に行ったことはなく、多分これからも行く機会はないと思います。でも「ルルドの聖母」が好きなのは、神学生時代に初めて見た映画のせいで、ご像に安らぎを覚えます。ご承知のように、貧困に悩んでいました家庭のベルナデッタは、町の人びとや教会当局ですら容易に理解されなくても、強い信仰で最後まで頑張りました。この大事なメッセージのために、聖母は少女を選ばれましたこと自体は、現代社会のためにも大きな意義があるこではと思います。

[注記]……以前のご像は老人ホーム「安濃聖母の家」玄関前に移し置かれ、多くのみなさんを見守っていてくださいます
(「津の星」第243号より)




創立125周年 記念感謝ミサ

 

2002年 創立125周年 記念感謝ミサ

 

ネリグ神父

ロバート・ネリグ 神父(1928~  )メリノール会

在任:1996~2018









新しいあゆみへ

奥村神父


奥村 豊 神父(1965~ )京都教区

在任:2018~

……京都司教区三重南部ブロック(共同宣教司牧の単位)に属する六小教区のうちの一つが、イエスの聖心に捧げられたカトリック津教会です。県庁所在地津市の中心部に位置し、築城の名人藤堂高虎ゆかりの津城跡、市役所、銀行や企業のオフィスがひしめいている街中に不思議になじんでいます。……教会はと言えば、これがまた多言語でありまして、国別でいきますと日本、フィリピン、ボリビア、ペルー、ベトナムの方々が目立ちます。本気で集合すると、フィリピンがダントツで一位、次いでボリビア、日本、ペルーの順になるでしょうか。……三重県は殉教者ゆかりの地域でありまして、日本二十六聖人には、信仰を保つよう母に宛てた手紙で有名な十四歳の少年トマス小崎や、その父ミカエル小崎がいます。津の殉教者もおりまして、毎年十一月には特別なミサも捧げています。……(『家庭の友』2023年8月号「全国の司祭館からこんにちは!」より)



歴代主任司祭 (創立125周年 記念感謝ミサ式次第より)

※下線のある司祭名をクリックしてください。司祭の短いプロフィールがご覧いただけます。

  1877(明治10) 洗礼第1号に「伯多祿 天花寺延春 年令四〇年 洗礼一八七七年(明治十年)」との記録あり 1873 切支丹禁制の高札撤廃布告
1880~1883(明治13~16) ヴィリオン神父(巡回)  
1883~1884(明治16~17) ロジェ―神父  
1884~1886(明治17~19) 深堀達右衛門神  
1886~1889(明治19~22) オリエンチス神父  
1889~1891(明治22~24) ダリドン神父  
1891~1896(明治24~29) アダム神父  
1896~1920(明治29~大正9) ビロース神父 1904~1905 日露戦争
1910     日韓併合
1914~1918 第一次世界大戦
1920~1924(大正9~13) プイサン神父  
1924~1927(大正13~昭和2) デルイ神父  
10 1928~1939(昭和3~14) ベルゼス神父  
11 1934~1941(昭和9~16) マッケーシー神父 1939 第二次世界大戦、始まる
1941 真珠湾攻撃
12 1942 (昭和17) 松平  神父  
13 1942~1946(昭和17~21) 七崎権次神父 1945 第二次世界大戦、終戦
14 1946~1971(昭和21~46) バーリ神父  
15 1951    (昭和26) プレンダーガスト神父  
16 1951    (昭和26) へスラー神父  
17 1951~1955(昭和26~30) ウォーナー神父  
18 1955~1956(昭和30~31) エグルストン神父  
19 1962~1963(昭和37~38) シェパード神父  
20 1963    (昭和38) ライアン神父  
21 1963    (昭和38) ウォルシュ神  
22 1971~1979(昭和46~54) 徳久清次神父  
23 1979~1981(昭和54~56) ツーシェット神父  
24 1981~1996(昭和56~平成8) ジャクソン神父  
25 1996~2018(平成8~30) ネリグ神父  
26 2018~   (平成30~  ) 奥村豊神父