司祭の横顔

※ 各司祭の資料が見つかり次第、順次掲載していきます。現時点ですべての主任司祭を網羅しているわけではありません。


エメ・ビリオン神父 Aimé VILLION(1843 - 1932)パリ外国宣会

1868年、来日。長崎にてキリシタン弾圧や追放を目の当たりにする。1871年、神戸に派遣され、神戸教会第2代主任司祭とり、西日本飢饉の時には多くの孤児を救った。1878年京都へ。フランス語塾を開き、多くの人を集め、河原町教会の設立にもかかわった。1895~1924年山口、1925年から奈良で司牧し、1932年、89歳で奈良にて没す。

(パリ外国宣教会ウエブサイトより https://irfa.paris/en/missionnaire/0908-villion-aime/

 

 

ロジェ神父 Mathurin ROGER (1855-1884)パリ外国宣会

1882年11月にフランスをたち、来日。大阪で日本語の勉強をした後、ビリオン神父がはじめられた津の教会に赴任した。しかし、宣教は長くは続かず、1884年8月に喀血し9月に津の地で帰天された(墓所は三重県)。

(パリ外国宣教会ウエブサイトより https://irfa.paris/en/missionnaire/1542-roger-mathurin/

 

深堀達右衛門 神父

初めての邦人司祭。1868(明治元)年、司祭になるためにべナンに渡り、1871(明治4)年に帰国。1887(明治20)年、38歳で逝去。

(「西彼杵郡・東彼杵郡の史跡・殉教地(殉教者)に関するページ」より http://yuriko2771.ec-net.jp/tinmoku2.htm
カトリック松山教会のウエブサイトより http://catholicmatsuyama.com/%e6%9d%be%e5%b1%b1%e6%95%99%e4%bc%9a%e3
%81%ae%e6%ad%b4%e5%8f%b2
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オリエンチス神父 Pierre AURIENTIS (1854-1922) パリ外国宣教会

1878年に来日。大阪にて日本語を学び、ラテン語の教師として働いた。その後、広島に派遣されキリスト教を宣教しながらフランス語を学生などに教えた。1886~1889年、当時信徒組織が確立されつつあった、設立されて約8年になる津の教会に派遣される。様々な混乱はあったがオリエンチス師により秩序が回復された。1893年、京都に移り、その後30年近く、帰天するまで京都にて司牧。大学などでフランス語を教え、多くの人に愛された。京都の地に眠る。

(パリ外国宣教会ウエブサイトより https://irfa.paris/en/missionnaire/1399-aurientis-pierre/

 

ダリドン神父 Henri DARIDON (1861-1921) パリ外国宣教者会

1886年、来日。大阪にて日本語の勉強をする。1888年、伊勢の国に派遣され、1年間留まる。1889年、大阪に戻り、その後、岡山、鳥取に派遣される。1920年、病気療養のため香港に渡り、その地にて没す。

(パリ外国宣教会ウエブサイトより https://irfa.paris/en/missionnaire/1689-daridon-henri/

 


アダム神父 Hyacinthe ADAM (1858-1909) パリ外国宣教会

1880年、来日。大阪にて日本語を学ぶ。大阪などで活動し、1891年、津の教会を任される。津の教会を整備するとともに、松阪、亀山、土山にも拠点を設けた。1896年、病気療養のためフランスへ帰国。ミニイ・トレギエにて帰天。

(パリ外国宣教会ウエブサイトより https://irfa.paris/en/missionnaire/1563-adam-hyacinthe/

 

ビロース神父 Joseph BIRRAUX (1867 - 1950) パリ外国宣教会

1890年来日。2年間の日本語学習の後、広島、京都などで司牧。1896(明治24)年アダム神父の後を引き継ぐように、との依頼を受け、津に赴任する。津教会と伊勢地方3地域を司牧する。
その後、名古屋、東京、大阪などで司牧し、大阪にて帰天。

(パリ外国宣教会ウエブサイトより https://irfa.paris/en/missionnaire/1891-birraux-joseph/


 

プイサン神父 Maxime PUISSANT (1874 - 1932) パリ外国宣教会

1890年来日。大阪(岸和田、玉造)で司牧する。この間に眼病治療の診療所の開設、「伝記パスツール」「図解主の生涯」などの小冊子出版なども行った。第1次大戦後の1920年、伊勢の国・津に赴任。1924年までその地に留まる。その後、岸和田にて新教会建設、幼稚園の開設などに尽力した。堺の病院にて帰天・

(パリ外国宣教会ウエブサイトより https://irfa.paris/en/missionnaire/2414-puissant-maxime/

 

デルイ神父 Georges DERUY (1884 - 1957) パリ外国宣教会

1909年来日。大阪で日本語を学び、松江に派遣される。第一次大戦では動員される。戦後、松江に戻り、1922~1928年、津に派遣される。その後、尼崎などで司牧。第二次世界大戦中はフランスに帰国。戦後、日本に戻り、1957年に亡くなるまで川口で司牧した。

(パリ外国宣教会ウエブサイトより https://irfa.paris/en/missionnaire/3015-deruy-georges/)

 

 

ベルゼス神父 Auguste BERGÈS (1878 - 1963) パリ外国宣教会

1213年12月10日にフランスをたち来日。川口で日本語を学ぶ。第一次大戦では看護師・チャプレン補として従軍。戦後、日本へもどり1928年、津に派遣される。有力な徳川家の子孫がクリスチャンであったことに助けられ、天照大神を生んだ聖地である伊勢自体にセンターを建設したいと計画したが、成功しなかった。1939年、その地域はメリノール会に委ねられることとなった。1944年、新設の垂水に赴任。1957年、離日。1963年、フランス・モンベトンにて帰天。

(パリ外国宣教会ウエブサイトより https://irfa.paris/en/missionnaire/3162-berges-auguste/

 

マッケーシー神父 William M. Mackesy (1906~1996) メリノール会

1934年、メリノール会の新しいミッションの地である京都に派遣され、新しく到着したメルノール会員の語学習を支えた。1939年、二つの伝道所を持つ津の教会に派遣される。1941年、太平洋戦争勃発後は一時日本軍に抑留されるが、1942年他のメリノール会員とともにスウェーデン籍の船にて、アメリカへ送還される。1946年、再来日し、1949年、京都の新しい小教区に配属された。1956年、ロサンゼルスの日本人コミュニティーのあるフランシス・ザビエル教会に派遣される。1958年、再再来日し、草津教会、東京メリノールハウス、亀山教会などで司牧した。1970年、再びロサンゼルスの日本人コミュニティーに配属され、1989年の引退の後はニューヨーク州のメリノールセンターへ移った。

(メリノール会ウエヴサイトより https://maryknollmissionarchives.org/deceased-fathers-bro/father-william-m-mackesy-mm/

 


バーリ神父 Thomas A. Barry (1901~1971) メリノール会

アメリカ、マサチューセッツ州ボストンに生まれる。1924年、メリノール会入会。1937年、司祭叙階後、来日。京都伏見や初音町に滞在した後、1938年~1941年、三条教会にて司牧。1942年、第二次世界大戦、勃発により、一時抑留され、交換船にて帰国。1945年、終戦すぐに再来日。カトリック津教会に着任される。新聖堂建築、保育園開園など、数多くの事業を残された。1971年、帰天。津カトリック墓地に眠る。

(メリノール会ウエブサイトより
https://maryknollmissionarchives.org/fr-thomas-a-barry-life-and-legacy-in-japan/
https://maryknollmissionarchives.org/deceased-fathers-bro/father-thomas-a-barry-mm/




プレンダーガスト神父 Thomas J. Prendergast (1923~1995)  メリノール会

ニューヨーク州ユティカに生まれる。1948年司祭叙階後、来日し京都のミッションに着いた。京都周辺の小教区をまわり、15年間奉仕した。その後、アメリカに帰国し、空軍のチャプレンとして奉仕した。

(メリノール会ウエブサイトより https://maryknollmissionarchives.org/deceased-fathers-bro/father-thomas-j-prendergast-mm/




へスラー神父 Donald L. Hessler (1912~1995) メリノール会

ミシガン州アナーバーで生まれる。1934年、メリノール会に入会、1939年、司祭叙階。叙階後、中国南部の桂林にあるメリノール伝道所に配属される。1941年香港にて日本軍に抑留され、米国への送還が提案されるが、スタンレー民間人収容所に留まることを選ぶ。抑留中は抑留者間のカトリック活動に積極的に参加した。1946年に帰米。その年、日本へ派遣されることになったが、健康不良のため3年間出発が遅れる。その後、アメリカ、メキシコなどで司牧し、83歳でメキシコにて帰天。
(メリノール会ウエブサイトより https://maryknollmissionarchives.org/deceased-fathers-bro/father-donald-l-hessler-mm/

 

エグルストン神父 William J. Eggleston (1920~2000) メリノール会

マサチューセッツ州ニュートンで生まれる。1947年叙階後、中国南部梅州市のミッションに派遣された。1951年、来日。1975~1978年、アメリカで活動した以外は日本で奉仕した。

(メリノール会のウエブサイトより https://maryknollmissionarchives.org/deceased-fathers-bro/father-william-j-eggleston-mm/)

 

 

ライアン神父 Edmond L. Ryan (1910~1980) メリノール会

マサチューセッツ州ウォータータウンで生まれる。1930年、初宣誓。1934年、司祭叙階。1934年、当時、日本の植民地であった満州国撫順に派遣される。第二次世界大戦が勃発すると、日本軍に抑留され、アメリカがチャーターした引揚者交換船、スウェーデン船籍のグリプスホルムにて帰国。戦争中はアーカンソー州ワトソンの日本人収容所で司牧。1946年、北海道と京都教区の三重県の様々な教会の司牧のため来日。1979年、健康上の理由で米国に帰国するまで、この任にあった。日本語に堪能でメリノール会宣教師の中で随一であった。カリフォルニア州ロスアルトスにて帰天。

(メリノール会ウエブサイトより https://maryknollmissionarchives.org/deceased-fathers-bro/father-edmond-l-ryan-mm/)

 

ウオルシュ神父  John J. Walsh (1933~2016) メリノール会

ニューヨーク市で生まれる。1961年、司祭叙階。1961年から1964年までカリフォルニア州マウンテンビューで教鞭をとり、その間に、日本のメリノール宣教地域に派遣されることとなった。日本での13年間に、東京のオリエン宗教研究所の協力を得て、クリスチャン・ディスカバリー・シリーズ(42冊の日本語パンフレット)を執筆した。これらのパンフレットは中国語と韓国語に翻訳され、アジアで合計400万部以上が配布された。ニューヨーク州スリーピーホロウにて帰天。83歳であった。

(メリノール会ウエブサイトより https://maryknollmissionarchives.org/deceased-fathers-bro/father-john-j-walsh-mm-2/)

 

 

徳久清次神父 James S. Tokuhisa (1915~1979) メリノール会

1915年、ワシントン州ポートブレイクリーで、日露戦争後にアメリカへ移民した父母のもとに生まれた後、山口や小郡などで教育を受ける。アメリカに帰り、1938年受洗、1939年メリノール会入会、1949年司祭叙階。日本での宣教活動中、日本のことわざ「百聞は一見にしかず」を座右の銘としていた。教区司祭として働き、教区民や、幼稚園児、看護師、修道士、囚人など、さまざまなグループとの個人的なつながりを持っていた。「宣教師を真の宣教師たらしめるものは、毎日自発的な十字架を選び、謙虚でなければならない」と彼は書いている。1953年に京都で洪水が起きた後、彼は170人の命を救ったことに対して、公式の表彰を拒否し、「魂と命を救うことが私の義務だ。人間は自分の義務を果たすことで報酬を得るべきではない」と語った。津市内の病院にて帰天。

(メリノール会のウエブサイトより https://maryknollmissionarchives.org/deceased-fathers-bro/father-james-s-tokuhisa-mm/

 

ツーシェット神父 Paul W. Touchette (1923~1986) メリノール会

マサチューセッツ州サマービルで生まれる。1941年、メリノール会にに入会。1950年、叙階、日本地域に派遣される。宣教師としてのキャリアのほとんどを日本で過ごした。1957年から1960年まで宣教開拓部門にて勤務。1961年、日本管区の副顧問に任命され、1962年、北海道にて司牧。1972年、彼は再び管区評議会の委員を務めた。彼は日本中のさまざまな小教区で働き、保育園、修道院、教会をたゆまぬ熱意と情熱を持って建設した。1984年、健康不良のため、アメリカに帰国。1985年、半年間だけであったが帰日。ニューヨーク州メリノール、セント・テレサにて帰天。63歳であった。

(メリノール会のウエブサイトより https://maryknollmissionarchives.org/deceased-fathers-bro/father-paul-w-touchette-mm/

 

 

ジャクソン神父 James Jackson (1929~  ) メリノール会

メリノール会ウエブサイトにあるジャクソン神父がアメリカへ帰られたころの記事(唐崎メリノール・ハウスで録画されたインタビュー動画あり)
https://maryknoll.link/aa504

 

 

奥村豊 神父 (1965~  )  京都教区

京都教区のウエブサイトより奥村神父の召命物語を読むことができます。

(京都教区のウエブサイトより http://www.kyoto.catholic.jp/new/topnews/seriezusyoumei/seriezusyoumei.htm#g