記念講演会山田社長スピーチより抜粋
ただいまご紹介いただきました山田徳兵衛でございます。ミス三重との再会を楽しみにしていた父が昨年4月27日に逝去し、本年4月25日に1周忌法要を執り行いました。「徳兵衛」は吉徳の当主が代々継承している名前で、先代が亡くなりますと、家の習いにより当代が襲名することになっています。 したがって、本年2月に所轄裁判所に名の変更許可の申し立てを行いまして、旧名 純一郎を戸籍上から改名、今月5月10日に12世山田徳兵衛の襲名披露を行いました。本日が山田徳兵衛を名乗る初舞台であります。よろしくお願い申し上げます。
(中略)
このたび「答礼人形『ミス三重』の里帰りを実現させる会」の竹林会長以下委員会の皆さんの善意が実を結び、今までの答礼人形里帰り展では例のない、修復前の「お帰りなさい」の展示ケ所が4ケ所のべ30日間、そして修復後の展示ケ所が10.ケ所のべ60日間、合計14ケ所のべ90日間の長きにわたり、45、000人にもおよぶ三重県民の皆さんの熱烈歓迎を受けたことは、今後の記録になるに間違いありません。
この展示に「ミス三重」・アニーを含む「青い目の人形」たちによく頑張ったと声をかけるとともに、各地域の皆さんの準備から展示へのご努力に敬意を表します。また、この14ケ所の展示に関わられたスタッフ・関係者の方々が3600名に及ぶとお聞きして驚いております。
このように、各地での様々なイベントを通して「ミス三重」が体験した日本の伝統・文化をお土産に、再び「平和と友情の使者」として星の国に渡り、元気な姿で多くの人々に平和の大切さを語り続けてくれることを切に希望しています。
三重県の宝もの、そして日米両国の宝ものである「ミス三重」に深く心を寄せる者の一人として、これからも答礼人形の修復を続けていくと同時に、この人形交流について後世にも伝えていきたいと思っております。
ご清聴ありがとうございました。
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