紀北作文の会 会報 第1号
紀北作文の会の考え方
作文の会の考え方は、長い間の実践によって培われてきた。そこでは、何よりも子どもの主体的な読みを大事にする。
いかにすぐれた文学作品を与えても、子ども主体の高まりのないところでは、自分の『人間の見方や世界の見方・考
え方』を、見つめなおしたり揺るがしたりすることにはならない。作品中の人物が、社会と人間・人間と人間・自然
と人間という関係の中で、矛盾を生み出し、矛盾を感じ、その矛盾を生き抜く。その生き方が真実であるか、その人
物が真に血の通った人間として生きているか、それが作品の価値を決定する。その作中の血の通った人間、真実を生
きる人間は、特殊で生々しい具体を生きている。そして、人間一般の真実性を内包しているのである。そういう人物
を典型的人物というならば、文学教育は典型(真実)を読みとり、典型的な人物と共に生きる(間接経験とも準体験
ともいう)ことだ。「共に生きる」とは、読みつつ感情まるごと共鳴し、発見し、反発するような過程であり、読み
手の自己そのものが変革されていく過程である。こうした文学教育は、他教科での豊かな認識づくり(特に、生活作
文での物の見方・考え方)や子どもの主体性確立を目指す学級作りと呼応しなければならない。昭和40年頃、紀北
作文の会は、文学教育の基本的な考え方を次のように述べている。『文学教育とは、すぐれた文学作品を媒介として、
子ども自身の中に豊かな感情を育み、主体的な自己変革を引き起こし、子ども達を真に現代の課題にこたえ得るよう
な主体者として育てていく営みである』と。それゆえに、すぐれた作品の発掘と作品の分析検討は、大切な仕事なの
である。
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