空手の歴史

空手は、突き、打ち、蹴りといった打撃技を主体とした日本の武道です。
起源については諸説ありますが、現在主流になっている説として、15世紀頃から琉球王国に「手(てぃー)」と呼ばれる固有の武術・舞踊がありました。
琉球王国が明(のちに清)と薩摩の両方に服属するようになると、中国武術や示現流の要素も取り入れられ、「唐手(とぅーでぃー)」とも呼ばれるようになりました。
明治政府によって琉球王国が沖縄県になると、唐手は沖縄県の学校教育に取り入れられるようになり、読み方も「からて」に改められました。
大正11年、沖縄県師範学校で唐手を指導していた冨名腰(のちに船越)義珍は、東京で開催された文部省主催の第一回体育展覧会で唐手を紹介し、それを見た柔道創始者の嘉納治五郎に招かれて講道館で演武を行いました。これが日本本土への最初の本格的な唐手の伝来です。
その後、全国の大学で唐手研究会が創設されて組手も研究されるようになり、唐手は「空手」と名を変えて日本本土で独自の発展を遂げるようになりました。
昭和23年、船越義珍の高弟である中山正敏が中心となり、船越を最高師範として「日本空手協会」が設立されました。
日本空手協会によって競技ルールも確立され、空手は伝統武道であるとともに競技としても発展することとなり、今日に至ります。