丹生ライブカメラ
長浜市余呉町上丹生
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祭 り の 概 要
丹生神社 デル株式会社
平成21年5月4日茶わん祭りの様子 
その他の平成21年5月4日開催動画
平成21年5月4日 茶わん祭り 行列・神輿
平成21年5月4日 茶わん祭り 山車・花奴  
 
 
◆◆◆茶わん祭りのあらまし◆◆◆
茶わん祭りは、そのむかし余呉町上丹生の末遠に陶器を創る工人がいて、その技を神から授けられた報恩感謝のため、毎年陶器を奉納したのが始まりだといわれています。昭和36年4月26日、滋賀県選択無形民俗文化財として指定されました。昭和60年3月29日滋賀県指定無形民俗文化財に指定。

また、巡行では丹生神社から八幡神社までの神輿の渡御に続いて永宝山、壽保山、丹保山の三基の山車が祭ばやしも賑やかに曳行されます。この三基の山車は素朴な木製の曳山で、足利時代から伝わる曳幕と江戸時代から残る綴錦の見送りをつけ2ケ月前から身を清めた山作り(工匠)たちが丹精を込めて作り上げます。これらの作品は、歌舞伎や物語から芸題を取り、その場面を人形と陶器でうまく組み合わせ高さ10メートルに積み上げられますが、その積み上げられた時の華麗さと絶妙なバランスに観衆はどよめきます。この場面が「湖国の奇祭」と言われる所でもあります。

祭ばやしも、丹生独特の曳山ばやし祇園囃子、新車ばやし、神楽ばやしのほか、笛、太鼓、鉦など軽快なリズムは郷土色豊なものです。渡御道中は、厳かな中にも華やかに、長刀振りを先頭に、12の役、笛、棒振り、小太鼓、鼓、鉦、ささらすり、大太鼓と続き、さながら足利時代の絵巻を再現したような豪華さと言えます。
平成21年5月4日茶わん祭り山車芸題
岩見重太郎 狒狒退治の場 寿宝山 橋本組
岩見重太郎 狒狒退治の場
下人形 岩見重太郎
宙人形 狒狒

山作り工匠 しゃぎり連中
浅井 滋義
浅井 捨明
酒井 聡
寿宝山  轟 利継
浅井 清樹
浅井 芳次
出口 嘉寿
浅井 恒男

 頃は、戦国時代の末期、岩見重太郎の父・岩見重左衛門は、筑前小早川家の剣道指南役を勤めていたが、同藩・広瀬軍蔵に殺害された。父の仇討ちを果たすべく諸国を巡っていた岩見重太郎は、石見の里にさしかかった。里では、毎年の例祭の時白羽の矢が立った家の娘を狒狒に人身御供えとして差し出さなければならなかった今年は庄屋の娘がいけにえにされることとなり、悲しみにうちひしがれていた。村人の嘆きを聞いた重太郎は、「もう悲しまなくてもいい、わたしが狒狒を退治してやるから安心しなさい」と言い、娘になりすまし、供え物の箱に刀を持って入り、村人たちに本殿まで運ばせた。激しい戦いの末に、村人の敵・狒狒を退治したのである。村人たちは、手に手を取って喜び、重太郎に感謝したのである。その後、重太郎は丹後の天橋立に於いて、父の敵・軍蔵を討ち、見事本懐を遂げるのである。
 
忠臣蔵 討ち入りの場 永宝山 中村組
忠臣蔵 討ち入りの場
下人形 大石内蔵助
宙人形 吉良上野介

山作り工匠 しゃぎり連中
笠原 平一
浅井 和雄
藤井 寿雄
永宝山  轟 忠裕
丹生 隆明
久保 誠
久保 久男
二宮 謙一

 時は、五代将軍・徳川綱吉の時代。勅使応接役を命じられた赤穂五万石当主・浅野内匠頭は、作法指南役の吉良上野介から、ことあるごとに数々の嫌がらせを受けていた。内匠頭は家臣たちの機転で、数々の窮地をなんとか切り抜けていたが勅使登城の当日、江戸城の松の廊下でついに刀傷事件を起こしてしまう。事件は迅速に処理され、内匠頭は即日切腹。赤穂藩にはお取りつぶしの決定が下され、一方の吉良上野介はおとがめなしとなった。主君の悲報が届いた赤穂では、城代家老・大石内蔵助を筆頭に六十数名が主君の仇討ちを決議。世を欺くため城を明け渡し、その素振りを見せないように行動することを誓い合ったのだった。赤穂藩が仇討ちの動きを見せないことで、赤穂藩士の評価は急落し、腰抜け呼ばわりする者たちも出る始末であった。しかし、上野介の実子・上杉綱憲の家老・千坂兵部は、赤穂藩士の動きを警戒し、上野介の身辺警護を怠らなかった。そんな中、元禄十五年十二月十四日、雪の中集結した内蔵助以下赤穂浪士四十七人は、本所松坂町の吉良邸に討ち入りを敢行。上野介の首を獲り、大願を果たしたのである。
 
先代萩 足利家御殿の場 丹宝山 北村組
先代萩 足利家御殿の場
下人形 正岡
宙人形 千松

山作り工匠 しゃぎり連中
木藤田喜久雄
轟 孝男
西山 譲治
丹宝山  笠原 隆
澤山佐戸志
城楽 直
加茂 光雄
高井 秋広

 奥州の大名・足利頼兼はお家乗っ取りをたくらむ仁木弾正や大江鬼面たちにそそのかされて放蕩に身をもちくずし、幕府の命令で隠居させられた。家督は幼少の嫡子・鶴千代が継ぐことになったが、弾正らは、幼君・鶴千代の命を奪おうとつけねらっていた。鶴千代の乳母・正岡は、自分が炊いたご飯だけを食べ、ほかのものは口にしないよう言い聞かせるなど、幼君を護ることに努めていた。しかし、管領山名宗全の奥方・栄御前が、将軍家から賜ったと偽り、毒入りの菓子を鶴千代に勧めます。断る事のできない正岡と鶴千代が進退きわまったところへ、正岡の息子・千松がとびだしてきて、そのお菓子を食べます。千松が苦しみ始めると、同席していた弾正の妹・八汐は、毒が入っていたことを知られないように、拝領の菓子を蹴散らすとは無礼だと千松を短刀で嬲り殺します。皆、驚き騒ぐが、正岡は顔色ひとつ変えません。しかし、皆が帰ったあとひとり残った正岡は、千松の遺骸を抱き、その働きを誉めて、泣き伏すのでした。
水資源機構 丹生ダム建設所のページに【特集】 茶わん祭有り
水資源機構 丹生ダム建設所