滋賀県指定無形民俗文化財
しがけん よごちょう
しがけんよごちょうちゃわんまつり
丹生神社
滋賀県余呉町上丹生
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平成15年5月4日挙行茶わん祭芸題
丹宝山

丹宝山 【北村組】

佐々木小次郎と宮本武蔵

燕返技円明不通波静
(燕返しの技 円明流に通じず 波静か)

  下人形 宮本武蔵
  宙人形 佐々木小次郎

時は慶長十七年(一六一二)下関沖の船島、四月二十一日巳の刻に、遅参せる武蔵ようやく現れたり。小次郎日く『武蔵、臆したか、策か、いずれにしても卑怯なるぞ。』武蔵答えず。小次郎"物干し竿″の長刀を抜き放ち、鞘を海中に投げる。
それを見た武蔵、すかさず小次郎の肺腑を貫く声で『小次郎、敗れたれり!』と叫ぶ…。あまりにも有名な吉川英治『巌流島の決戦』である。

天正十二年三月(一五八四)美作国吉野郡宮本村に生まれた武蔵は幼い頃、村人から豊年童子と呼ばれるほど並はずれた体格の少年だった。
厳格な父への反発から家を飛び出し、諸国を放浪、修行の旅に出る。宝蔵院槍術、柳生一門、吉岡一門と全国に名だたる剣豪を打ち破ってついに、出会った佐々木小次郎。武蔵二十九歳の時のことであった。

両方の手に刀を持つ円明流(二天一流)を編み出した武蔵に対して小次郎は三尺を超える長刀『物干し竿』を背負い、飛びかう燕をも一刀両断に斬り落とす『蒸返し』を得意とする天才剣士の壮絶な戦い。巌流島で二人の剣士が戦った後には、静かに波が打ち寄せていた

寿宝山寿宝山 【橋本組】

乙姫さまと浦島太郎

永竜宮遊故郷亡知人
(永く竜宮城で遊び故郷は知る人もない)

  下人形  浦島太郎
  宙人形  乙姫様

小学校唱歌で歌った『むかし むかし 浦島は、助けた亀に連れられて竜宮城へ来てみれば絵にもかけない 美しさ』みんなが知っている浦島太郎のお話。助けた亀に連れられて行った竜宮城は、厳しい現実を生きる人々には 今も昔も理想郷である。

『浦島太郎』は奈良時代の『日本書記』や『万葉葉』『風土記』など古い本の中に、伝説として広く親しまれてきた。この話で『浦島太郎』が乙姫さまから歓待され年月のたつのを忘れて過ごした竜宮城は、本来深海の底にあって竜神の住む宮殿であり、海の都と言われていた。

『浦島太郎』の話が、子供たちにとっておもしろいのは、亀の背にのって、海底の竜宮城という未知の世界に出かけていくというところと、乙姫さまに決して開くなと言われた玉手箱を開け約束を破ることが 人々の心をとらえてきたことではないかと思われる。蓋を開けた太郎が白髪の老人になる物語が印象深く語り継がれている。
永宝山永宝山 【中村組】

化け猫と鍋島藩士

怨念化猫城下跳梁
(怨念は描に化けて佐賀城下を跳梁する)

  下人形  鍋島直茂
  宙人形  お政

佐賀藩士小森半太夫家には異国種の猫がいた。ところが、家中の侍たちに虐げられていたこの猫は、ついに主君の愛妾お政を殺してこれに化け、鍋島藩を相手にすさまじく跳梁を繰り広げていくのである。講談では、家来筋の鍋島に滅ぼされた竜造寺家の後室が、仇を晴らそうと愛猫に怨念を吹き込んだのだと言う。世に言う『鍋島騒動』である。

肥前佐賀藩は三十五万石、その佐賀藩を預かる鍋島家江戸屋敷で、慶長十二年三月三日、思わぬ騒動が起こった。藩主鍋島直茂の養子、竜造寺高房が妻を刺殺し、自害を図ったのである。高房は一命は取りとめたものの、『おのれ直茂!おのれ直茂!』と口走り続ける。

実は、佐賀藩主は、高房の祖父隆信であり、高信は高房誕生の二年前に合戦で討ち死。その子 政家は藩主の器量がなく隠居させられ跡を縫いだのが五才になる孫の高房。高房成人までの後見人が鍋島直茂であった。しかし、高房成人後も直茂は藩政を譲らず、高房は不安と憤りを募らせこの騒動を起こし自害して果てたのである。
世の人々は竜造寺家の無念さを、化け猫に託して鍋島騒動を作り出したのである。
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