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☞西国33所霊場巡り・第24番・25番・花山院参拝☜ 私はバスを使って(ツアー)西国33所霊場巡りをしています。2018年の6月17日に第1番霊場・青岸渡寺を参拝したのを機に、以後順調に巡ってきました。ところが2020年の3月に“クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号”で、コロナウィルスに感染している人が多数見つかり、日本は大混乱に陥りました。故にツアーや催し物はすべて中止となり、大勢での飲食や外出も制限される有様でした。最近やっと落ち着きを取り戻し、ツアーも再開され友とも自由に会う事が出来る様になりました。西国33所霊場巡りは全体の3分の2まで巡っているので、早速残りの礼所を巡る事にしました。今回は兵庫県宝塚市にある第24番札所・中山寺と、兵庫県加東市にある第25番札所・播州清水寺参拝の様子を綴ってみたいと思います。
2025年4月12日(土)、関バスセンターを8:15分に出発したバスは10:05分に第24番札所・中山寺に到着しました 。本日の参加者は38名でバスは満席状態でした。車内で添乗員さんに御朱印帳や掛け軸などを預け、私たちは手ぶらで参拝します。御朱印料は1件につき500円でした。1は33所霊場があるマップ図で、西国33所の総距離は約1000qに及び、和歌山、大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀、岐阜と2府5県にまたがっています。2は中山寺参道で、参道の上は阪急電車が走り中山観音駅があります。バス駐車所からここまで約2分、その後この地下道(約100m)を通り、更に2分も歩けば3の中山寺に到着します。4は門前にある境内の案内板で、5はそれをわかりやすくしたものです(A図)。これを見ると中山寺がいかに大きなお寺であるのか、一目瞭然です。6は山門で仁王像を囲んでいる柵には、氏名と願い事が書かれた小さな奉納“わらじ”が多数掛けられています。<昔の西国巡礼は長く苦しい旅だったので、自分の足腰が長旅に最後まで耐え抜くことが出来ますようにと祈りを込めて奉納したものです。また旅の途中でわらじをすり減らした時、先の人が奉納したわらじを借用し、次の札所に新しいわらじを納めていく習わしがありました。助け合い分かち合いの心は、佛教で最も大切にされる布施の精神に通じるものです>。と、説明が書かれていました。なお山門は1646年に徳川家光により再建されたそうです。
1,2は仁王像で、後ろには大わらじが奉納されています。3は山門の裏側で、左は狛犬(写真4)で右は獅子(写真5)が安置されています。中山寺の山号は紫雲山で、宗派は真言宗中山寺派、本尊は十一面観世音菩薩です。安産の寺として名高く、安産を祈る人々が全国から腹帯をもらいに訪れています。豊臣秀吉も当山に祈願し秀頼を授かったとして、感謝の意を込めて本堂を再建(1603年)したと伝わっています。本堂へと続く道にはこの時期ツツジが満開になっていました(写真6)。また参道の途中には5つの塔頭寺院があり、それらすべてを廻っていると1時間の拝観時間では足りません。それでどんな寺院があるのかと?、道から建物を見るだけに留めました。7は蓮の蕾をかたどった手水舎です。
最初の石段(写真1)を登ると右に納経所、左に鐘楼が見えてきます(図A参照)。2は左側にある寿老神堂で、寿老神と午年の守本尊である勢至菩薩が安置されています。福神の一人である寿老神を祀ったお堂は珍しく、私は初めて見ました。写真3はその寿老神像で、4は勢至菩薩像です。5は寿老神堂の背後にある中山寺古墳で、“石の櫃(からと)”とも言われています。古墳は仲哀天皇の后・大中姫命の墓で、中には奈良時代・長谷寺の徳道上人が冥土で閻魔大王から<観音信仰を広めるように>といわれて御宝印を授かり、それを収めた石棺があります。その御宝印を平安時代に、花山法皇が此処から見つけ出し西国33所を再興されたと言う。6は大黒堂で、大国様と両脇に子年の守本尊である千手観音菩薩が祀られています。大黒様の笑顔が何とも福々しい!。
1は閻魔(えんま)堂で、中央は閻魔大王(裁判官)、右が司命(しみょう・検事)、左が司録(しろく・書記)だそうです(写真2)。閻魔大王は冥土の裁判官または地獄界・餓鬼界の王とも言われ、十王信仰や地蔵信仰として民衆の間に浸透していきました。閻魔大王の前にある鏡には、裁きを受ける人の生前の行いが全て写し出されると言う。3は裁きを受けている様子を再現したものです。閻魔堂を参拝後、2つ目の石段(写真4)を登り本堂へ進みました。右のエスカレーターは阪神淡路大震災後に設置されたもので、安産祈願の妊婦やお宮参りの子供を抱いた両親などのためのものだそうです。本当は本堂へお参りする前に、五百羅漢堂に寄りたかったのですが、見落としてしまい残念でなりませんでした。5は龍の線香ローソク立てで、上の傘は龍の鱗かな?。
1は本堂ですが、私が撮った写真はピンボケだったのでネットより拝借しました。2は外陣で、3は秘仏の本尊・十一面観音立像です。毎月18日に開帳されるそうです。左右の脇侍も十一面観音という珍しい3尊形式で、3躯あわせて33面となり観音菩薩の33の変化身を表しているそうですよ。なお本尊の写真はネットより拝借しました。4は御手綱で本尊の十一面観音様の左手と結ばれています。五鈷杵と御手綱に触れ、少しだけ観音様の慈悲を感じたように思いました。5は本尊と繋がっている御手綱です。本堂は“救世閣(ぐぜかく)”という名が付けられていました。
1は本堂の横にある開山堂で、中山寺を開山した聖徳太子を祀ったお堂です。2は五大明王を祀っている護摩堂です。五大明王とは、仏教の中でも特に密教の中心と言われている5人の明王のことで、強力な力とご利益があると言われています。降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の5人です。3はその写真ですが、これはネットから拝借したものです。4は真言宗の宗祖・弘法太師をお祀りしている太師堂です(図A参照)。護摩堂から更に石段を登った先にありました。5は堂内を写したもので、西国33所霊場の砂を安置しお砂踏みの行場となっているそうです。時間がないので、太師像を拝んで次に移動しました。
太師堂の横に建っているのは青が眩しい五重塔で、東方を守護する“青龍”を表したものだそうです。平成29年に再建された際に、このような青い色になったとか。また塔の地下には仏舎利が、そして塔の内部には如来の金剛界5仏が祀られています。2は大日如来をお祀りする朱色の多宝塔(大願塔)で、特別永代供養のお位牌安置所です。3は子授け地蔵で子宝を待ち望む祈願者が願布を奉納するお堂で、太師堂から少し下った先にありました。4は私が見たいと思いながら通り過ぎてしまった五百羅漢堂です。故に4〜6の写真すべてはネットから拝借したものです。平成9年の建立で、開創1400年記念事業のひとつとして新築されたそうです。実際には700体以上の羅漢様が安置されています。また天井には金剛界5仏と釈迦如来の種字曼荼羅が描かれ、床には蓮華の陶板が敷かれている美麗かつ清冽な雰囲気があるお堂だそうです。実際にこの目で見たかったなぁ〜。
1は地蔵菩薩塚で、奥の院(本堂から約2Km、距離にして50分の道程)へ行く途中にありました。色んな種類のよだれ掛けを付けたお地蔵様がとても可愛らしくて、思わずシャッター切ってしまいました。2は西国33所創設1300年を記念した特別印です。古くから子授け安産祈願の霊場として知られる当寺ならではのイラストで、3は大悲殿と書かれた御朱印です。4は宝塚市の花“すみれ”と、音楽の町・宝塚を表現するために楽器のベルを周辺に散りばめたデザインとなっているマンホールの蓋です。5は昼食を摂った、“やしろ鴨川の郷・あぐりぴあ”で、6はその前の公園に咲いていた桜です。満開の桜が素敵でした。この後、第25番札所・播州清水寺に向かいますが続きは次回で。 記・令和7年7月28日 |