トップページ               ペット               旅のアルバム

 

    エッセイ    

 

二見お雛さま巡り

私が子供の頃は戦後の混乱は落ち着いたとは言え、お雛様を飾れるのはほんの一握りの裕福な家庭のみでした。故にお雛様は私にとっては、何時まで経っても憧れそのものなのです。もし私に子供が出来たなら、そしてその子が女の子だったら絶対お雛さまを飾ろうと思っていましたが、その夢も遂に叶わず。せめて今は、各地で催されているお雛様ツアーに参加し、私の夢の続きを叶えている所です。二見のお雛さま巡りには、確か13〜4年前にも友と訪れた事がありますが、今回は公民会講座で講座生と共に訪れました。

 

    

 

1はお雛様巡りのマップです。2月28日、講座生15名は9:00分に倭公民館を出発し、10:10分二見に到着しました。まずは二見生涯学習センター(マップ・12)から見学です。2は玄関に飾られていた雛壇です。<今年度のおひなさまめぐりin二見では、例年通り賓日館と二見生涯学習センターを2大展示拠点とし、旅館や商店、公共施設など66カ所に計約3000体のひな人形を展示しました。>と書かれていました。今日はこれから夫婦岩表参道を通り、賓日館、二見興玉神社を経て伊勢シーパラダイスまでの約1,5kmを歩きます。3は学習センター内の縮緬細工で作られた兎の吊るし雛です。4は地元・二見浦少4年生の陶雛で、5は大段飾りのお雛様です。これは右半分で、この左側にも同じような雛壇がありましたが、あまりにも大きすぎて1枚の写真に収まりきれませんでした。

 

     

 

1は目出度いお正月の飾りと、雛飾りを合体させたもの。2は幼い子供用?のお雛様で、3は館内に展示されていたカエル雛?です。このカエルに見送られ、私たちは次の展示場所へと移動しました。4は御福餅本舗(14)のお雛様で、さすが御福餅のお雛様は古くても気品のある顔立ちをしていました。5は民家の階段に飾られていたお雛様と晴れ着です。6は御もてなしの様子を写したもので、玄関先にはお茶とお菓子、それにパンフレットが用意されていました。

 

     

 

1は旧浜松旅館で、中にはマップ・21のお雛様が展示されていました。この道は二見興玉神社への参道なので、旧旅館や土産物店等がひしめき合っています。2はブージー&エルカのマスコットキャラクターで、マップの23と24の間にありました。二見興玉神社の神使はカエルなので、二見を訪れた人が“無事に帰る”の言葉をもじって名付けられたそうです。雛巡り時には内裏雛に、また夏季には海水浴客に変身するそうですよ。3,4はお雛様ではなく、精巧に作られたガンダム?。あまりにもリアルなその造りに思わず引き込まれてしまいました。5は左側に鬼が居て、前には変顔したお雛様が足を広げて座っています。ユニークな姿態にニタニタ笑っている私がいました。6は“英国エリザベス女王陛下献上品・昭和31年”とありました。さすが伊勢志摩の真珠は値打がありますね。

 

    

 

1は伊勢ならではのお雛様で、住まいが神社様式になっています。2は五十鈴勢語庵で(マップ・38)、名物の塩羊羹を売っているお菓子屋さんです。3はその横丁に飾られていた桶です。“この海女桶は91歳まで、現役で活躍していた海女さんが使っていた歴史ある桶です”と書かれ、中には2匹のカエルが並んでいました。五十鈴勢語庵と言い、この飾り付けと言い、何か雰囲気がありますよねぇ。4,5は賓日館(ひんじつかん)で、この中に江戸時代のお雛様や創作雛が約1500体展示されています。賓日館は明治20年、伊勢神宮に参拝する賓客の休憩・宿泊施設として、神宮の崇敬団体・神苑会によって建設されました。その後、明治末期と昭和初期の2回の大増改築を重ね、明治44年には隣接する二見館に払い下げられました。以後二見館の別館として宿泊所となっていましたが、平成15年に二見町に寄贈され(二見館廃業の為)現在に至っています。建物は重要文化財です。

 

    

 

最初に二見が生んだ日本画家・中村佐州(さしゅう)の作品を見ました。それが1の写真で松に孔雀が描かれています。佐州は明治6年に二見に生まれ、23歳で二見館の館主の4女と結婚した頃から、恩命により御前で絵筆をとり奉献するようになりました。本品は佐州39歳の時の作品で、仏教説話では釈迦が過去に孔雀であったと説かれています。2は館内展示の様子で、3は11人段飾り雛で明治15年に制作されたものです。右端の女武者は巴御前(木曽義仲の側室)で、左端の髭を生やした武将は豊臣秀吉です。肩に三法師(信長の孫)を載せ、清須会議の様子を再現したものです。武将のように強く、また武将のような人と結婚できますようにとの意味が込められているそうですよ。4は倭姫命と佐見都日女(さみつひめ)の人形です。佐見都日女とは神宮に奉納する堅塩(かたしお)を、倭姫命に献上した人物です。5は2階へ上る階段に並べられた雛人形です。

 

    

 

1は御段飾り雛で大正〜昭和初期頃の作品です。下段には長寿を象徴する翁と媼、それに舌切り雀や市松人形などが置かれ、とても目出度い仕様になっています。2は押絵雛(年代不詳)で、厚紙型に綿を挟んで布で包み、それを貼り合わせた立体感のある雛人形です。裏に引掛けが付いていて、立てて飾るそうです。3は親王雛で江戸期(1760年)の作品です。江戸の町人によって生み出されたもので、写実的な顔や女雛の袖口には刺繍など、艶やかで豪華な江戸好み風になっています。4は源氏枠の御殿飾り雛です(江戸時代)。源氏物語絵巻を立体化し、上下左右から見られるように屋根を省いてあります。5はおかげ参りの犬をお雛様風に仕立てたものです(伊勢わんこ雛)。

 

     

 

1は二見興玉神社の神事“藻刈神事”を雛人形で再現したものです。藻刈神事とは夫婦岩の約700m沖の海中に沈むご神体、“興玉神石(おきたましんせき)”に付く藻を刈る神事です。刈り取った藻は同神社で使う祓具(はらいのぐ)や、無垢塩大麻や授与品の不浄祓守りとなりなります。2は2階の大広間(120畳)に並んだ雛壇ですが、これはホンの1部を写したに過ぎません。3は賓日館の外観で、この様な重厚な建物の中にお雛様は飾られていました。4は庭に置かれていた自然石を用いた灯篭ですが、趣がありますよね。5は雛巡りの標識で(前は二見海岸)、6はマップ・45にある海洋楼の石雛です。

 

        

 

1は二見興玉神社で、祭神は猿田彦大神(別名・興玉大神)と言い導きの神様です。2は社殿内に飾られていた雛段です。3は遥拝所で、700m沖合にある厳島(猿田彦大神が降り立ったとされる島)を崇め、拝礼する事が正式な参拝方法だそうです。それを示したものが4の絵図で、江戸時代の参拝風景が描かれています(伊勢参宮名所図会・ネットより拝借)。なお現在の社殿は明治9年の神仏分離により、夫婦岩前に新しく建てられたものです(写真1)。5は夫婦岩で、6は矢印の下に見えた富士山です。今日は天気も良く(強風でしたが、その風が雲を吹き飛ばしてくれたようです)、肉眼ではっきりと富士山を捉える事が出来ました。まさかこんな所で富士山を拝めるなんて思ってもみなかったので、本当にラッキーな1日になりました。感謝・感謝です。

 

    

 

1は境内社で龍宮社と言います。<古来よりこの郷に津波襲来し、人々は困り果て海の守護神・綿津見大神をお祀りしました。以後、寛保の荒浪や明治の高潮にも御神威の霊験があり被害が減じられた>と言う。陰暦5月15日に例祭があり、きゅうり・なす・みる・おご・まつ菜等が供えられ、人々は“津波が急にきたら見るな、待つな、おごるな”と言う戒めを固く守っているそうです。2は西城八十の縁結びの歌碑です。3は伊勢シーパラダイスの横にある二見プラザです。4はその館内に展示されていたお雛様(マップ・61)で、これが本日最後のお雛様となりました。館内の“夫婦岩めおと横丁”で昼食を摂った後は、最終見学地・伊勢市防災センターへと向かいました(写真5)。場所は伊勢市楠部町で倉田山公園内にあります。伊勢市防災センターは、<防災について子どもから大人まで楽しく学べる体験型学習施設です。見て体験して防災に関する知識や技術を身につけ、もしもの災害に備えてください。>とパンフレットに書かれていました。センターは1階防災倉庫、2階防災研修室、3階防災体験学習室、4階防災多目的ホールとあり、3階防災体験学習室では様々な防災体験をし、とても貴重な半日を過ごすことが出来ました。

                        トップページへ                   記・令和6年3月31日