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   エッセイ   

 

伊勢西国33所・多度大社から雨尾山飛鳥寺へ

一昨年から近鉄ハイクを利用して伊勢西国33所を訪ねています。今回は第33番の多度観音堂と、32番の雨尾山飛鳥寺を歩いてきました。多度大社は以前より1度は訪ねたいと思っていた神社で、今回の多度観音堂はその大社のすぐ傍に位置していました。多度大社は祭礼行事として、5月の連休(4,5日)に“上げ馬神事”、11月23日には“流鏑馬神事”が催されます。そしてその神賑行事には毎年十数万人の参詣者が訪れ、その様子はTVで中継されニュースとして茶の間に流れます。十数万人の見物人の中に入る勇気はありませんが、せめて“上げ馬神事”が行われる場所を、この目で確かめてみたいとは思っていました。今回のハイクは期せずしてその思いも遂げられるのですから、私としては願ってもない事でした。

 

     

 

平成30年4月28日(土)、私は大三駅を8:00分の近鉄電車に乗り、桑名に向かいました。桑名(10:05分)からは養老鉄道に乗り換え10:18分に多度駅に到着しました。養老鉄道の乗り場は桑名駅の構内にあり、電車を降りたすぐ隣のホームが改札口になっていたので、とても便利だと思いました。1はその養老鉄道のマップです。2,3は本日の行程表です。4は到着した多度駅で、5は駅前広場の案内板です。標識には多度大社、多度山ハイキング、木曽三山公園など魅惑的な文字が並んでいました。

 

    

 

行程表を片手に多度駅を10:25分に出発しました。私の受付ナンバーは169なので、すでにこれだけの人が私の前を歩いていることになります。1は多度の山並みで標高は403mです。目指す多度大社はこの麓にあります。2は行程表にある“宮川清めの池”です。<古くからみそぎの池として、多度大社の参拝者はここで手を洗い、口をそそぎ身を清めて一の鳥居より神域に入ったと言われています。現代でも5月の祭礼には、この池の水で祭馬にそれぞれ水を飼い、足を清める習わしがあります>と、標識に書かれていました。3は多度の旧町並みで、写真は1716年創業の多度豆を販売している桔梗屋です。建物は8代将軍徳川吉宗の頃のもので、江戸時代の店構えが今も残っています。名物の多度豆とは、大豆にキナ粉や砂糖を加えて作る素朴なお菓子だそうです。4はそこから少し歩いた先にある地蔵堂です。お堂の中には、室町末期から江戸初期に作られた半跏延命地蔵尊と、薬師如来が祀られています。しかし扉は閉じられていて、隙間から撮った写真は光線不足で仏様はピンボケ状態でした。5は多度大社の一の鳥居です。右の道を進むと多度観音に行きます。まずは先に本日の第1目的である多度観音様にお参りすることにしました。

 

    

 

その前に、手前にある多度稲荷神社(写真1)に手を合わせました。祭神は宇迦之御魂大神で、商売繁盛や五穀豊穣の神様です。1864年に多度の庄屋が京都・伏見稲荷大社に参拝し、七日七夜の行を修めて分霊を拝戴し、現在の所にお祀りしたそうです。2は多度観音堂で、伊勢西国33所の第33番札所です。宗派は真言宗、本尊は十一面観世音菩薩です。お堂は度々の洪水で元の位置は確かではありませんが、明治34年の本堂再建以来現在の位置になったそうです。その後昭和34年に改築され現在に至っています。3,4は本尊の十一面観世音菩薩と千手観音菩薩像です。<十一面観世音菩薩(左)は111,6cmの寄木造りで、玉眼を嵌入しています。衣文は複雑にひるがえり、それ自体が模様のようになっています。南北朝時代前後の制作と考えられます>。また<千手観音菩薩(右)は118,8cmの一木造りで、腰部に十分な量感を持ち、薄い布をきらびやかに表現しています。制作年代は平安時代前後だと考えられます。2体の仏像は傷みが激しく修理の手が入っていますが、流行に合わせた化粧直しが行われている事から、大切に守られてきた仏像であることが伺われます>と、説明書きがされていました。本当に美しい仏像だと思いました。5は多度大社で頂いた(住職不在のため)33番札所のご朱印です。

 

    

 

1は多度大社の境内図です。2は右が参集殿、真中が神楽殿、左に二の鳥居が見えます。この日は日柄が良かったのか?神主さんに交通安全祈願をしてもらっている車が停まっていました。安全祈願とはこの様に車を全開にして行うという事を、初めて知りました。3は二の鳥居を抜けた所で、行きは左の参道を帰りは右の道を降りてきました。4は白馬社で白馬伝説に因んだ白馬が納められています。白馬伝説とは<多度山は昔から神が座す山と信じられ、人々は農耕に恵みの雨を乞い、 出生に安産を祈るというように、日々の暮らしの平穏や家族のしあわせを祈り続けてきました。その願いを神に届ける使者の役割を果たすのが、多度大社に1500年前から棲むといわれる白馬です>。そして横の肩書には、『古来より神は馬に乗って降臨するといわれるように、神と馬との関係は深く、馬の行動を神意のあらわれと判断するところから、多度大社ではその年の豊作、凶作を占う“上げ馬神事”を毎年5月4日5日の多度祭で行っています』と書かれていました。5は於葺門(おぶきもん)で、この門を境にして本殿の神域に入ります。

 

     

 

1は末社の神明社(しんめいしゃ)で、天照大御神をお祀りしています。2は多度神社の本宮で、祭神の天津彦根命(あまつひこねのみこと)は、天照大御神の第3子にあたります。五穀豊穣、漁獲の豊収とともに、雨乞いの神として遠近に信仰する人が多いそうです。3は別宮の一目連神社で、祭神は天目一箇神(あめのまひとつのみこと)です。天津彦根命の御子で、岩戸隠れの際に刀斧、鉄鐸を造ったといわれています。また父神(本宮)と共に天候を司る神でもあります。4は多度山から流れ出た落葉川で、ここに御弊を立てて斎場を作り、雨乞いの神事を行うそうです。川の水は冷たくて川床が見渡せるほど澄み切っていました。じっと見つめていると何だか心が休まる様な気がしました。本宮・別宮の参拝を終え右の道を真っすぐ下って来ると、神馬舎(じんめしゃ)に出ます。中には神馬『錦山』がいます。それが5の写真です。6は上げ馬神事が行われる坂で、神馬舎のすぐ下に位置していました。上げ馬神事は少年騎手が2m余りの絶壁を駆け上がり、上がった頭数でその年の農作物の豊凶を占うという天下の奇祭です。確かに2mの絶壁を目の前にすると、ものすごい圧迫感があります。これを馬で駆け上がるのですから、少年騎手にとっては恐怖との闘いの場なのでしょうね。坂の左の建物は多度祭御殿と言って、歴代の桑名藩主が上げ馬神事を拝観された場所です。

 

    

 

1は左が多度祭御殿で、坂の横には1本の御神木が茂っています。昔、長島城を修造する時、多度大社の大楠を切り倒し城門を造り替えたそうです。ところが完成の祝賀の時に暴風雨がおこり、城門は流されてしまいました。そして時が経ち、その時の切り株から芽が出て生育したのが現在の御神木となったそうです。2は多度大社の全景で、後ろは多度山です。3は神社のすぐ前にある多度の老舗、丸繁の和菓子店です。ここで生クリーム大福を頂きました。やわらかいお餅の中に、つぶあんと生クリームが入っていました。疲れた体にはやはり甘いものが一番ですね。4は肱江橋で、左側の欄干には“蛇の目傘”が、右側には鯰(ナマズ)のレリーフが刻まれていました。鯰はこれから訪れる徳蓮寺を象徴していますが、蛇の目傘はこの地の特産品なのでしょうか?。5は野志里神社(のじりじんじゃ)です(行程表の3を参照して下さい)。ここは天照大神が倭姫命に導かれ、新たな後鎮座の土地を求めて大和を出発し、伊賀、近江などを経てこの野代の里に遷御したと言われる場所です。天照大神はその4年後には現在の伊勢の地・五十鈴川に移り、そこで正式に鎮座されました。故に石碑には、“伊勢神宮御旧跡野代の宮”と刻まれています。

 

    

 

実は石碑はもう1本建っていて、それが1の写真です。“照”の字の下の4点が“火”になっています。これは旧字で古語辞典に出ているそうです。太陽神である天照大神を強調して用いたという説が有力で、明治25年に三重県知事・成川尚義が書かれたそうです。2は拝殿で、こちらも拝殿額の“志”の文字がちょっとお道化た表記になっていました。ここでお昼となり、おにぎりを食べたのですが、食後にちょっとしたハプニングが起きてしまいました。それは少し離れた空き地のトイレの中に、私が閉じ込められてしまったのです。ドアの鍵の様子が少し変だなぁ〜と思いながら中に入ったのですが、今度は外に出られなくなってしまったのです。呼べど叫べど誰も気付いてくれません。中で大暴れをし、その衝撃で鍵が外れてやっと外に出ることが出来ました。まったく冷や汗ものでした。1人旅は気ままで良いですが、こんな時は不自由です。3〜5は養老鉄道・下能代駅の近くに位置している徳蓮寺です。踏切を渡り100段の石段(写真3)を上がった先が4の本堂です。石段の多くには奉納した町や人の名が刻まれています。お寺は弘法大師が平安時代に開祖したもので、真言宗で本尊は虚空蔵菩薩です。また本堂には約250枚の絵馬が奉納されていますが、半分位はウナギやナマズを描いたものです。それが5の写真です。ウナギは一般に本尊の虚空蔵菩薩の使いとされていますが、このお寺の本尊が災害に遭い一時行方不明になりました。その後、土の中から発見されましたが、その時に像を守るかのように多くのウナギやナマズがいたという伝説から、鯰鰻図が多く奉納されたそうです。

 

    

 

本尊は秘仏で、7年に1度開帳されます。1は本尊の前に置かれた御前達像です。2は境内にある左から地蔵・蔵王権現・慈母観音像です。3は慈母観音を拡大したものです。普段は前下りが邪魔になり、子供の様子は見えないのですが、ボランティアガイドさんが布をそっと持ち上げてくれました。中から現れたのが、乳房に手を伸ばし、今まさにお乳を飲もうとしている瞬間の赤子でした。こんな像は初めて見ました。慈愛に満ちた母子像は、平和である事の大事さを私たちに教授しているかのようでした。4は約160年前に、和歌山県で発生した地震による被害者の慰霊碑です。この様に徳蓮寺は、ウナギ、ナマズが御本尊を守った伝説と言い、地震に縁があるお寺でした。5はお寺の近くを走っていた養老鉄道です。

 

     

 

1は伊勢西国33所・32番札所の雨尾山 飛鳥寺(あまおざん ひちょうじ)です。徳蓮寺から南へ約3q歩いた所にあります。創建は794年で、弘法大師が開山したと伝えられています。宗派は東寺真言宗で本尊は十一面観音菩薩です。お寺の由来は、生駒山周辺より黄金の花瓶(十一面観音の持ち物)を咥えた霊鳥が飛んできて、当地で仏法を説いたそうです。そこで霊鳥が飛来した寺という事で“飛鳥寺(ひちょうじ)”と名付けられました。2は本堂と鐘楼で、本堂内陣には本尊の十一面観音菩薩(約180cm)や、他の多くの仏像が安置されています。3は内陣ですが、本尊は年に1度の十日観音の日(8月10日)に開帳されるので、この日はお前立像を拝んできました。4はネットから拝借した本尊の十一面観音菩薩です。当寺は雨尾山の中腹にあり、木曽三川を眼下に望みます(写真5)。故に画面の右中腹には木曽川橋(水色)が架かっていますが、見えますか?。6は32番札所・飛鳥寺のご朱印です。

 

左は養老鉄道のラッピング車です。大垣市は2018年(平成30年)に市政100周年を迎え、養老鉄道ではこれを記念してラッピング車を来年の3月まで運転するそうです。車体には水の都・大垣を示す青系ベースのラッピングが施され、側面に市のキャラクターである“おがっきい”と“おあむちゃん”が、先頭には市長のイラストも搭載されています。知らずに乗ったのですが、何ともユニークなラッピング車でした。伊勢西国33所を全踏破するのはまだまだ先の事ですが、焦らずゆっくりと歩んで行きたいと思っています。

           トップページへ                 記・平成30年9月23日