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    エッセイ    

 

榊原温泉の里ハイキング

ふれあい長寿津の主催で榊原にハイキングに行って来ました。榊原は我が家から車で15分の距離にあり、おまけに旦那の妹が嫁でいる関係もあって、しょっちゅう訪ねています。しかし、温泉以外には榊原の史跡や歴史等は何も知らないことに気が付きました。そこで、今回はボランティアガイドさんが付き添って史跡などを案内してくれると言うので、これ幸いと参加する事にしました。

    

 

1は59名の参加者が5組のグループに組分けされ、主催者から注意点などを聞いている所です。場所は榊原市営駐車です。令和7年2月25日は、前日に青山高原に雪が降り(写真2)、麓の榊原も雪化粧かと心配しましたが、空はからりと晴れ渡り絶好のハイキング日和となりました。顔を知った友人に会い心強い思いでした。平均年齢は多分70歳後半〜80歳前半だろうと思います。3,4は渡された資料で、この資料を片手に道を歩きます。5は榊原温泉の道路標識です。榊原の地名は、この地に自生する“榊”を神宮で使われたことから榊原と呼ばれるようになったとか。

 

    

 

スタートから5分くらい歩くと、1の常夜灯と大日さん、山の神の石碑がある所に出ます。2はその横にある不動堂(不動さん)です。そこから小高くなっている坂道を登ると、左手上に榊原城跡が見えてきます。それが写真3で、旧榊原村は南北朝時代に伊勢国司・北畠氏に属し北の見張り役に城を構えた仁木氏が、村の名を取って榊原氏を名乗ったとされています。北畠氏が滅亡すると織田信長に属し、織田信包が上野城を居城とした頃、榊原家は中山へ移り城は廃城となりました。4は射山神社・1の鳥居址と初代榊原城主(榊原信濃守興経)の塚跡です。射山神社の御神体は前方の貝石山(射山・湯山)で、昔はここから参拝していた人もいたそうです。5はそこに至る道で、この細い道が昔の街道です。右に1の鳥居址の石碑が見えます。

 

     

 

1は林性寺です。初代城主榊原興経の子息(藤三郎氏)が死去すると、城から戌亥(北西)の方角に葬り、そこに榊原家の菩提寺を建てました。それが林性寺で、墓地には藤三郎氏の位牌や墓石2基があるそうです。2はその境内に置かれていたお雛さまです。榊原温泉街では、丁度この時期(2月1日〜3月3日)にお雛さま巡りが開催されていて、3はそのポスターです。4はふるさとガイドの案内板で、5はそこから5分程歩いた先にある湯治場東門跡です。榊原城主により造営された国内最大級とも言われる湯治場で、利用するには厳しい身分調べがありました。出入りはこの東門1ヶ所だけで、ここから神社までが湯治場で100部屋を超える規模だったそうです。6は射山神社前の手水所で、長命水(神の井)とよばれています。継体天皇の御代(501〜531年)、第六皇女が伊勢神宮の斎王になる際、霊水に榊を一晩浸し献納したことから“榊の井”と呼ばれるようになりました。またこの湧水で榊が長持ちした事から、長命水とも言われています。

 

     

 

1は手水舎所の横に設置されている“湯垢離(湯ごり)の地”の説明板です。湯垢離とは湯で身を清める事で、当時の人は伊勢神宮に参拝する時、今のように手水舎で簡易的に手や口だけをすすぐのではなく、水の中に入ることで禊を行っていました。射山神社は大己貴命(別名・大国主命)と少彦名命の2座を温泉大明神としてお祀りしています。御神体は境内の裏手にある射山(貝石山)で、今も山腹8合目には御社跡が残っているそうです。安土桃山時代に現在の地に移されました。3は神社の鳥居をくぐった先にある“恋こ槌”です。大国主命が福袋と小槌をもって現れたのが大黒様で、大国は“だいこく”とも読め、大黒様となり福徳を振りまっています。大黒様の小槌は恋こ槌と呼ばれ、なでると縁に恵まれ願いが叶うと言う。4は拝殿で開運、縁結び、五穀豊穣などあらゆるお祈りの縁を受けられます。5,6は社務所内に飾られていたお雛さまです。

 

      

 

1は境内にある芭蕉翁反古塚です。奥の細道の旅を終えた芭蕉は、幾度もこの温泉を訪れたそうです。“葉桜に袴の裾もぬれにけり”の句が残されています。2は反古塚の説明板で、3は境内の裏山にある湯本跡の看板です。ここが榊原温泉発祥の地であることを物語っています。裏山を下ると4のゆかり橋に出ます。下は榊原川が流れその上が貝石山です(写真5)。標高120mと低い山ですが、約1500〜2000万年の化石が数多く出土しています。見るからにゴツゴツした山容で、これなら化石が出土してもおかしくないと思いました。6は河鹿莊で、今は廃業している旅館です。昔はこの様な旅館がいっぱい立ち並んでいたそうです。そこから10分ほど歩くと、7の温泉販売所に出ます。20リットル10円から販売していて、200リットルもあれば十分な湯量になるそうですよ。アルカリ性単純温泉で、温の温度は26,5度Ⅽだそうです。

 

    

 

1は金比羅山への登り口で、貝石山から連なる里山群のいちばん東に位置しています。もともとは秋葉神社が祀られていましたが、地元の人が讃岐の金刀比羅宮で御札をもらって祀ったのが始まりだとか。讃岐の金刀比羅さんは金の次に“刀”の文字が入りますが、ここの金比羅山は“刀”がないそうです。参道口から200段の石段を上り、そこからさらに15分ほど歩くと山頂(標高152,3m)に到着します。山頂からの眺望は素晴らしく、青山高原や伊勢湾に浮かぶ神島等が見えるそうですよ。今回は時間がなかったのでカットされましたが、何時かは登ってみようと思っています。そこから榊原川に沿って歩く事約30分で源泉1号の石碑に到達しました。それが写真2で、沈下橋の近くに建っている朽ち果てた古い小屋が源泉1号地です。源泉2号地は3分ほど歩いた先にありました(写真3)。4の写真はネットから拝借したものですが、ここは旅館街の裏手にあたります。5は温泉の効能を表した看板です。

 

     

 

1はサンドセラピー砂羽で、砂風呂、じゃり風呂、高圧酸素ボックス、アロマテラピーなどの施設を擁しています。オーストラリアの砂とメキシコの原塩が混ぜてある砂は抗菌作用があり、また遠赤外線効果で体の芯まで温まるそうです。料金は砂風呂+じゃり風呂で、6500円とちょっとお高いです。所要時間は約3時間だそうです。2は玄関先に置かれていたもので、3は中に飾られていたお雛さまです。先ほどの温泉の看板から3分くらいの距離にありました。4〜6は出発地の近くに建っている湯本誓願寺観音堂です。堂内には11面観音像(本尊)や閻魔像、阿弥陀如来像が安置され、また周囲の観音堂や十王堂に祀られていた仏像も集められています。それが6の写真です。これでコースは終了し、約3kmの道のりを2時間半かけて歩きました。雪がちらついた翌日だったのでとても寒く、気温は9度Ⅽから上昇しませんでした。本日の総歩行数は7266歩でした。

                           トップページへ                        記・令和7年5月4日