トップページ       ペット       エッセイ

 

  旅のアルバム    

 

ポルトガル紀行・その1 サンティアゴ・デ・コンポステーラからヴィアナ・ド・カステロへ

毎年恒例となっている海外旅行。いつもなら今年は何処に行こうかに始まり、あれこれ資料を読み比べている所ですが、今回は早くからポルトガルと決めていました。それは、@最近ヨーロッパではテロが頻繁に発生し旅行には危険が伴いますが、ポルトガルは唯一テロの先例がない安全な国である。Aポルトガルとスペインは隣接していて、私が行きたいと思っているスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラが近い。Bポルトガルにはユーラシア大陸の最西端・ロカ岬がある。Cポルトガルは日本の鎖国時代、オランダと共に通商があり日本に多大な影響を与えた国である等、いろんな意味でポルトガルは私の中では興味深い国となっていたのです。昨年は私の都合で、結局海外旅行には行けませんでした。故に2年ぶりの海外旅行は身体面でかなりの不安や、また準備に面倒くさいと思う部分もあったのですが、出かけてみればそれはそれで、とても楽しい旅となりました。要はウツウツ考えるよりも実行あるのみですね。それでは早速紀行文・その1をご覧ください。

 

     

 

1は旅の日程表で、期間は平成29年6月25日〜7月2日です。2はポルトガルの位置を示した地図です。皆さん案外、フランスやスペインの事は知っていても、ポルトガルが何処にあるかご存じない方が多い様に思いました。3はポルトガルの主な町と世界遺産を示したものです。4はポルトガルの国旗で、緑は誠実と希望を、赤は新発見のため大海原に乗り出したポルトガル人の血を表しています。真ん中の紋章は天測儀で、イスラムから奪い返した7つの城と、ポルトガルの王を表す5つの楯から成っています。次にポルトガルの基本情報を簡単に印します。正式国名はポルトガル共和国で(EUに加盟)、面積は約9万1985(日本の4分の1)です。人口は1043万人(2013年の統計)で、日本の10分の1程度です。首都はリスボンで宗教はカトリック、言語はポルトガル語、以上です。5は乗り継ぎ地であるフランクフルト空港内(ドイツ)のロビーです。6は乗機したルフトハンザ機です。平成29年6月25日の10:30分、私はルフトハンザLH737便で、セントレアからフランクフルトに向けて飛び立ちました。飛行時間は約12時間15分で、ここから6時間の待ち時間の後、ポルトガル(ポルト)へ向かいました。6時間の待ち時間とは長いなぁ〜と、思っていたら何のことはない。入国審査に1時間20分も要してしまいました。確かにドイツは多数の難民を受け入れている国なので、出入国の審査が非常に厳しいとは聞いていたのですが、あまりの厳しさに驚いてしまいました。私たちツアー客の仲間もその洗礼を受け、1人の男性は手荷物の中身を徹底的に調べられていました。その男性はプロ級のカメラ数台を手荷物にしていたのですが、どうもその精巧なカメラが怪しいと睨まれたようでした。また他国の乗客のいかがわしき手荷物を検査するために、係員が呼んだのは自動小銃を手にした2人の警官でした。その乗客は見た所イスラム圏の男性の様で、一瞬その場に緊張が走りました。結局、その手荷物はもう1度赤外線のチェックを受け直し、最後は別室に引き取られていきました。このようにテロの脅威を間近に感じたのは初めての事で、また本物の自動小銃を見たのも初めてでした。その後ルフトハンザ機(LH1180)は定刻通りポルトへ飛行し(飛行時間 2時間40分)、宿に着いたのは深夜の12時を回っていました。こうして長い1日は過ぎていきました。緊張しました、そしてとても疲れた1日目でした。

 

    

 

6月26日(旅行2日目)。本日の日程はポルトから国境を超え、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラを訪ねます。その後はポルトガルに戻り、北部で最も美しいと言われている街・ヴィアナ・ド・カステロを見学し、再びポルトへとなっています。今朝の気温22℃、天候は薄曇り。これからサンティアゴ・デ・コンポステーラまで232q、時間にして3時間30分のバスの旅になります。サンティアゴ・デ・コンポステーラはエルサレム、ローマと並ぶキリスト教の3大聖地の1つで、キリスト12使の1人である“聖ヤコブ”の墓がこの地で発見されたのを機に、大勢の巡礼者が訪れるようになった町です。サンティアゴとはスペイン語で聖ヤコブの事を言い、コンポステーラとはラテン語で“星の野”または”墓場”を意味するそうです。1はその巡礼の道を示したもので、スペインはもとよりフランス、イタリア、ドイツ、遠くは北欧から、人々は歩いて巡礼にやって来ます。フランスのピレネー山脈からだとサンティアゴまで約800q。個人差もありますが1日平均20〜30qを歩くとして、30〜40日かかることになります。そして徒歩や馬で100q、自転車で200q以上達成した人には、サンティアゴの事務所で巡礼証明書が発行されるそうです。2は国境を通り抜けたすぐ先にある、スペインの港町・ヴィーゴです。リアス式海岸の美しい港町はカキの養殖が盛んで、沖には養殖筏が列をなしていました。ここでトイレ休憩を取り、また先を急ぎます。3は旧市街の入口であるバスの駐車場から歩いて5分の所で、この路地を(中世の石畳道)あと5分ほど歩けば目的の大聖堂に到着します。4はその途中に建っていたサン・フランシスコ教会です。13世紀のはじめにゴシック様式で建てられ、18世紀にはバロック様式に建て替えられたものです。横にあるモニュメントは聖フランシスコの像です。5は旧市街の中心地であるオブラドイロ広場で、対面には大聖堂が建っています。広場は大聖堂建設中には石切り場(オブラドレス)であったことからこの名がついたそうです。なお旧市街は1985年に世界遺産に登録されています。広場の正面に建つ長さ90mのこの建物は、ラホイ宮殿(ラショイ宮殿)と呼ばれ、18世紀に神学校としてネオクラシック様式で建てられましたが、現在では自治体の庁舎となっています。

 

    

 

1〜3はオブラドイロ広場から見た大聖堂です。しかし大聖堂は現在修理中のためか、上から青いカーテンが垂れ下がっていました。故にその全貌は望めず、少しがっかりしました。2,3の写真はネットから拝借したものです。1番上の像(写真3)は、聖ヤコブだそうです。聖堂は814年に星に導かれた羊飼いが、この地に聖ヤコブの墓を発見し、その場所に小さな教会が建てられたのが始まりです。その後イスラム勢力により教会は破壊されますが、11〜12世紀にかけて再建され現在の姿になっています。ロマネスク様式が主ですが、増改築が行われているので、ゴシック、バロック、プラテレスコ、新古典様式など様々な建築様式が混在しているそうです。そのオブラドイロ広場を通って、まずはレストランで腹ごしらえです。4はレストラン“SAN JAIME”で、このお店でスペイン・ガリシア地方の郷土料理を頂きました。ゆでタコのオリーブオイルかけと、フイッシュパイ、それにデザートにはアーモンドケーキが出ました。ゆでタコが柔らかくて、とてもジューシーで、本当に美味しかった!。5はその店の壁に飾られていた各国のコインと紙幣です。ここを訪れた人々が記念に置いて行ったものだそうです。食事の後は地元のガイドさんと待ち合わせをして、さぁ〜本格的な見学の開始です。

 

     

 

1は美味しかったゆでタコの料理です。ガイドさんの案内で、まずは大聖堂の全景が見渡せるアラメダ公園へ。ここは旧市街の西側にあり、大聖堂や旧市街が一望できる場所です。狭い2の路地を抜け、公園に入ってきました。3は公園内に設置されていた像です。毎朝決まった時刻に、姉妹揃って公園を散歩する姿が市民の間で有名となり、ついには像まで作られたとか。何ともユーモラスな話ですね。4は公園の入口で、5の高台はこの門を出た先にありました。旧市街の中に建っている大聖堂はとても優美で、まるで美しい絵葉書を見ているようでした。3本の塔のうち、右手の1本は銀細工広場に建っている時計塔です。左のこんもりした所は、歓喜の丘なのでしょうか?6はマンホールの蓋で、デザインのホタテ貝は巡礼の道を表しています。昔はこのホタテ貝をお皿代わりにして食べ物を恵んでもらったことから、ホタテ貝が巡礼者のシンボルになったと言われています。他に飲み物を入れるヒョウタンと杖が、巡礼者の必需品だったそうです。

 

     

 

1はそれらを売っているお店で、オブラロイド広場にありました。アラメダ公園からまた旧市街に戻り、再び街中を歩いて大聖堂へ。雨の多いこの街ではアーケードは必須だったようで、2は中世の面影が色濃く残るアーケード街です。この道もかっては巡礼道だったようで、その証がアーケードの上に刻まれているホタテ貝です(写真3)。4は大聖堂の南側にある広場で、銀細工の広場(プラテリアス広場)と言われています。それは当時、ここで銀細工師達が店を開いていたからだそうです。中央に4頭の馬と星を掲げた女神像の噴水がありますが、その星は聖ヤコブの墓へと導いたされるものだそうです。5は広場に面して建っている時計塔で、高さは72mもあるそうです。聖堂内にはその横にある銀細工の門(プラテリアス門)から入りました。それが6の写真で、門の上にはキリスト受難の図が彫りこまれています。また左上の隅には、アダムとイヴのレリーフもありました。さぁ〜いよいよ聖堂内に入ります。大聖堂内は説明禁止との事で、ガイドさんとはここでお別れです。

 

       

 

1は大聖堂内部のマップです。銀細工の門からまっすぐ中に進むと、目の前に、私がこの旅でどうしても見たいと思っていた大香炉(ボタフメイロ)が、天井から吊り下がっていました。それが2,3の写真です。重さ80kg、高さ1,6mの香炉に40kgの香と炭を入れて焚き、それを下にいる8人の僧がロープを引っ張って大きく揺らします。香炉は最終的には時速70q近い速さで振られ、聖堂内に集った信者に香が行き届くようになっています。この儀式は元々は長い道のりを歩いてきた、巡礼者達の体臭を緩和する為に始められたものだとか(11世紀ごろ)。現在では特別なミサの終了後に行われているそうです。以前私はこの儀式をテレビで見た事があり、その時から本物の香炉をぜひ見たいと思っていたので、念願が叶い大満足でした。4は中央祭壇の南側にある柱状の礼拝堂で、壁には聖ヤコブを示すホタテ貝と、“聖ヤコブの十字剣”が刻まれています。聖ヤコブの十字剣とは、<剣で斬首され殉教した事を表す。またはヤコブ自らが騎士となって天から現れ、キリスト教を勝利に導いた>ことから、十字剣は聖ヤコブを表すそうです。5は中央祭壇に祀られている聖ヤコブの像です。13世紀の作品だそうですが、とても煌びやかで豪華な像でした。その像に後ろから触ることが出来るという事で、中央祭壇の右横から狭い階段を上り中に入りました(写真6)。中は撮影禁止でしたが、ヤコブがまとっているマントに触れることが出来ました。また祭壇左横の階段を下りると地下礼拝堂があります(写真7)。そこには聖ヤコブの棺が安置されていて、棺には中央にキリスト、左右に12使徒の8人が浮き彫りにされています。ここは初期聖堂が建てられた時の基壇(教会の基礎を築いた所)だそうです。

 

     

 

1は中央祭壇の上にある2つのパイプオルガンです。2は中央祭壇の北側にある“聖なる門(免罪の門)”と、その上に飾られているヤコブのステンドグラスです。この門は現在閉ざされていますが、聖年の1年間のみ門は開かれるそうです。聖年とはヤコブの聖名祝日である7月25日が日曜日に重なる年とされ、次回は2021年となっています。ちなみに聖年は、6、5、6、11年の周期で繰り返されるそうです。そしてその時に、その門をくぐった者は全ての罪が贖罪(しょくざい)されるという。3は聖十字剣を胸に刻み、ホタテ貝を吊るした杖を持っているヤコブです。2の写真は聖なる門を聖堂内から見た写真ですが、4はキンターナ広場から見た”聖なる門“です。ヤコブは中央に縁の広い帽子、大きな外套、巡礼の印である貝と杖、そしてひょうたんを持った中世巡礼者の姿で表現されています。もちろん門は閉ざされていました。5は”栄光の門“で、上にはヨハネ黙示録を基にした200体に及ぶ彫像が刻まれています。これは12世紀の名匠マテオの作品です。門は3本のアーチからなり、中央の柱には右手に巻物を、左手には杖を持った聖ヤコブが座り、長旅の巡礼者を静かに迎え入れています。信者たちはこの前で祈りを捧げ、お互いの無事を讃えあったそうです。門はオブラドイロ広場に面した大聖堂正面の入口にありますが、今回は修理のためその門を見ることは叶いませんでした。故に5の写真はネットから拝借しました。6は大聖堂出口の門で、ここからヘルミレス宮殿の前を通り、再び再集合の場所・オブラドイロ広場にやって来ました。

 

     

 

1はオブラドイロ広場にあるアストゥリアス皇太子賞受賞記念プレートで、賞はスペインのノーベル賞とも呼ばれているものです。サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は2004年に平和賞を受賞しました。2はそのプレートの足下で記念撮影をしている巡礼者です。3はオブラドイロ広場の全貌で、左が市庁舎で真中はパラドール(国営ホテル)、右が大聖堂で手前は美術館となっています。4は15世紀末に王立病院として建設された、世界で最も古いホテルの一つであるパラドールです。ホテルはいたるところに施された彫刻、4つの回廊を持つ中庭など、華麗でエレガントな内装の中にも歴史の重みを感じさせるそうです。137の客室があり、もちろん五つ星ホテルです。お金があったら、ぜひ1度は宿泊したいと思うホテルでした。これで大聖堂の見学は終わりました。次は聖堂の約5q手前にある“歓喜の丘”に、バスで移動します。歓喜の丘(モンテ・デル・ゴソ)とは、長旅で疲れきった巡礼者が最後の力を振り絞ってこの丘に登り(写真5)、そこから見た大聖堂の美しい姿に歓喜し、涙したと伝えられる丘の事です。5はその丘に建てられていた、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世来訪記念のモニュメントです。そのモニュメントの下には、巡礼者が身に付けていた衣類や靴が置かれていました。それが6の写真で、ここまで安全に旅が出来た事への感謝の印だそうです。しかしここにはモニュメントがあるだけで、実際の聖堂を望むことは出来ません。本来の聖堂が見える歓喜の丘は、ここから少し歩いた先(10〜12分)にあるそうです。「もう1つの歓喜の丘に行きますか?」と、添乗員さんが皆に尋ねましたが、疲れていたのか誰も返事をしませんでした。

 

     

 

歓喜の丘から次の訪問地であるポルトガル北部の町、ヴィアナ・ド・カステロまでは約2時間30分の道のりです。距離にして170qをバスは快調に飛ばしていきます。ヴィアナ・ド・カステロは古くは漁港、貿易港として栄えた町で、リマ川河口に開けた美しい町という事で、別名”リマの女王“とも呼ばれているそうです。1は町のマップです。まずは町を一望できるスポットへという事で、標高249mのサンタ・ルジア山にやって来ました。2はその山頂に建っているサンタ・ルジア教会です。パリのサクレ・クール寺院に影響を受けた高さ57mのドームの内陣は、フレスコ画法の淡い色遣いの壁画やステンドグラスで装飾され、柔らかい雰囲気に包まれていました。それが3の写真で、閉館(19時)間近じかでしたが辛うじて拝見することが出来ました。4はその教会の裏側から見た町の眺望で、町を流れるリマ川が大西洋に注ぐ様を見て取れました。でもそこから吹き上がって来る強い風のため、一瞬私の帽子が飛ばされそうになりました。5は町の目抜き通りで前方にはヴィアナ・ド・カステロ駅が、そして背後には先ほど訪れたサンタ・ルジア山が写っています。6は町に咲いていたジャカランダの花です。私はこの花を1目見ようと南アフリカを旅したことがありましたが、その時は季節が合わず残念な思いをしました。しかし今回は期せずしてこの花に巡り合えたのですから、私はすっかり舞い上がってしまいました。ジャカランダはノウゼンカズラ科に属する中南米原産の低木または高木からなる樹です。花をよく見ると、桐の花に似ていると思いました。

 

     

 

1は町の中心にあるレプブリカ広場で、その真中には天球儀と十字架が付いた“500の噴水”があります。噴水は1553年に造られたそうですが、なぜ500の噴水と呼ばれるのか?、調べてみましたが解りませんでした。2はその噴水に面して建っている旧市庁舎です。16世紀に建てられたゴシック様式の建築で、かっては町の集会所として使われていましたが、現在は展示用として保存されています。3はこれも16世紀に建てられたルネッサンス様式の病院(右の白い建物)と、そこに併設されているミゼリコルディア教会です。バルコニーの彫刻が美しい教会ですが、内部には金箔を施した素晴らしい彫刻や、ポルトガル屈指のアズレージョ(装飾タイル)があるそうです。しかし見学は午前中だけなので、建物を見るだけに終わりました。4はカテドラル(マトリス教会)で、14〜15世紀にロマネスクとゴシック様式をミックスして建てられたものです。5はその内部で、写真は地方貴族の礼拝堂だそうです。6は町の目抜き通りから見たサンタ・ルジア山で、先ほど訪れた(1時間前)サンタ・ルジア教会は厚い雲に覆われ、その全貌を確認することは出来ませんでした。今でなくて良かった!と思いました。何故なら、今なら町のあの美しい眺望は期待出来なかったであろうからです。

 

    

 

1はアゴニア教会で、18〜19世紀頃に建てられたバロック様式の教会です。8月に行われるロマリア祭(嘆きの聖母巡礼祭)には、ポルトガル全土から巡礼者が集まるそうです。写真は車窓から撮ったものです。2はレプブリカ広場ですが、そこにも巡礼路を示すマークがありました(下の矢印)。3はリマ川に停泊しているGIL EANNESで、かつては病院船だったそうですが、今は半分を博物館に、半分はユースホステルとして使用しているそうです。この港はポルトガル海軍のドックを持つことから、現在の主要産業は造船業で、その様子が背後に写っている起重機からも読み取ることが出来ます。約1時間町を散策した後、私たちは19時20分にホテルに到着しました。4はメルキュール・ポルト・ガイア・ホテルです。5は夕食のローストチキンレッグで、これにサラダとアップルパイのデザートが付いていました。夕食後は早々と、ホテルのすぐ前にあるショッピングモール(Arrabida shopping)で買い物タイムです。店は9〜23時まで開いていたので、ゆっくりと土産物をゲットすることが出来ました。この続きは次回で。          記・平成29年10月15日

                             トップページへ