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出雲への旅その2・水木シゲルロードと松江城

今回は前回の続きで、出雲への旅の2日目からスターしますが、その前にダーク(愛犬)の事に少し触れておきたいと思います。ダークは5月20日に無事16歳の誕生日を迎えました。2月11日の時点では、自力で餌も食べられない程足腰が弱っていたのですが、最近は私が食器を支えていれば何とか自分で食べられるようになっています。そればかりか必死で生きようとする動物の本能がそうさせるのか?、食欲がまた以前の状態に戻って来ました。目の前に出されたものは、すべて食べつくしてしまいそうな勢いです。でも悲しいかな、それらは皆ウンチとして排出され体には吸収されません。故に体重は相変わらず7,5sの痩せたままです。実は今回の旅もそんなダークを介護するため、当初は行くのをためらっていたのですが、旦那が「俺が何とかするから、行ってこい」の一言で決行したのです。そう言われてもやはり不安が先に立ち、私は行く先々から携帯電話を入れていました。そんな旅行2日目の朝、美保神社の手前で私の携帯が鳴りました。旦那からです。さてはダークに何かあったのか?と、すぐさま通話状態にしました。すると「近所からタケノコを沢山もらったのやけれど、あく抜きはどうすればいいのや?」と、のんきな旦那の声がしました。ふっと気が抜けると同時に、大好物のタケノコを前にしてオタオタしている旦那の姿が目に浮かび、思わず笑ってしまいました。早速あく抜きの方法を伝授し、私は次へのステップへ(水木しげるロード)と進みました。

 

        

 

4月4日(水)旅行2日目。本日の日程は美保神社→水木しげるロード→大漁市場なかうら→江島大橋→由志園(カニしぐれ膳の昼食)→松江城→いずもまがたまの里伝承館→玉造温泉となっています。前回は美保神社までを綴ったので、今回は水木しげるロードからスタートします。1は鳥取県の観光ガイドマップです。2は水木しげるロードのパンフレットで、3はそのガイドマップです。私たちはガイドマップにある@のバス専用無料駐車場に降り立ちました。そこから右折して大正川沿いを皆で歩き、信号機のある大きな交差点にやって来ました。その交差点に立っていたのが水木しげる夫妻とねずみ男の像です(4の写真)。夫妻の像はNHK朝の連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』の放送を祝し、平成22年3月8日の水木氏88歳の誕生日に建立されたものです。5はその反対側にある像で、左は小豆(あずき)洗いで、右は鬼太郎と目玉おやじです。ここで自由解散となり、私と友は交差点を右折し、水木しげるロードを直進してJR境港駅に行く事にしました。水木しげるロードとは、JR境港駅前から水木しげる記念館までの約800mの道路の事を言い、その沿道には174体もの(2017年現在)妖怪ブロンズ像が設置されています。

 

          

 

1は水木しげるロードにある『妖怪神社』です(ガイドマップを参照して下さい)。妖怪”一反木綿“をデザインした鳥居を潜ると(写真1)、その奥に2の御神体があります。御神体は高さ3mと2,5mの黒御影石、それに樹齢300年の欅(けやき)を組み合わせたものです。妖怪神社なので何を拝んでいいのかわからず、とりあえずここまで来られた事への感謝と、ダークが逝く時は苦しまずにあの世に行けますようにとお願をしました。3は鳥居の横にある俗に言う『手水舎』です。高さ1,9mの御影石で作られ、茶わん風呂に入っている目玉おやじをイメージして造られたそうです。茶わんの中の球体は直径38cm、重さは約70sもあり、それが水の力でとクルクルと回っています。手で触って回転を変えることができるので私もやってみましたが、重いので両手で廻さないと上手く回転出来ませんでした。4はその近くにあった”座敷童子”の像です。5は妖怪神社から次の信号を超えた辺りにある『河童の泉』です。ここには小便小僧の鬼太郎の他、カッパ、タヌキ、河童の三平、悪魔くん、小豆洗い、さざえ鬼、岸崖小僧、ねずみ男の計9体が置かれていました。後から知った事ですが、別名『妖怪版トレビの泉』とも呼ばれ、この泉にコインを投げれば願いが叶うとか!。事前に知っていればコインを投げて来たのに。6はその広場に建っていた目玉おやじの街灯です。

 

        

 

1は妖怪巨大壁画で、みなとさかい交流館(JR境港駅隣)に、2012年8月に設置されたものです。壁画は縦7,5m、横20,25mの巨大なもので、鬼太郎やねこ娘、伯耆大山の烏天狗、河童、狐の嫁入りなどが描かれ、背景画は島根半島がイメージされているそうです。左はJR境港駅で、上には旧境港灯台(木造六角洋式灯台)をイメージした塔が建っています。2は中の待合室で、床にも椅子にもキャラクターが描かれていました。3は駅前に設置されている、河童の三平、タヌキ、カッパのオブジェです。その後ろが(写真4)“水木先生執筆中”の像です。これは水木しげる氏30〜40代の頃をモチーフにした像で、机の周りには次はどんな妖怪が出てくるのか気になる様子の鬼太郎。「自分の出番をもっと増やして」と、せがむねずみ男。そして、そんなやりとりを見守る目玉おやじが楽しそうに再現されています。5はポストの上に乗っている“鬼太郎の郵便ポスト”です。しかし念のため、このポストから手紙を投函しても妖怪の消印は付きませんからね。

 

        

 

1は交流館前の鬼太郎タクシーで、2は“はまるーぷ・バス”です。バスはメインコースと生活コースとがあり、観光にはメインコースが便利で、料金は1回100円だそうです。写真を撮っていると目の前にそのバスが停まり、私は思わず乗り込みそうになりましたが、1周するのに1時間もかかるとあって止めにしました。今でもその時の事を思うと、残念に思います。3〜5は鬼太郎列車です。鳥取県の米子駅(ねずみ男駅)と、境港駅(鬼太郎駅)を結ぶJR境線。その間(17,9m)を約45分かけてのんびり走るのは、6種類の鬼太郎列車です。鬼太郎列車とは妖怪イラストが描かれた列車の総称で、鬼太郎、ねこ娘、こなき爺、目玉おやじ、ねずみ男、砂かけ婆の6種類があります。平日は1日18往復、土日祝は16往復しているそうです。私たちが境港駅に着いたのが10時13分で、列車は10時25分に境港駅に入って来ました。本当にラッキーでした。もしかしたら鬼太郎列車が見られるかもしれないと、最初の目標を境港駅に定めたのが見事に命中したのです。列車は鬼太郎とねこ娘の2両編成でした。私たちは嬉しくなって写真を撮りまくりました。

 

          

 

1は等身大のねずみ男の像です。握手が出来る事から観光客にとても人気があり、私も順番待ちをして握手をしてきました。この像が人気の証拠に、握手をする右手と前歯、それに目玉は皆に触られピカピカに光っていました。2は飲食店の前に吊るされていた”一反木綿“です。暖簾と宣伝効果を兼ねているのでしょうねぇ。3は”多賀”と言うお店の前に置かれていた看板です。何気なくこの前を通りかかったら、突然右のねずみ男が動き出し私に握手を求めてきました。私は思わず飛び上がりかけましたが、そこは平静を装いニッコリ笑って握手をして来ました。振り返るとまだ手を振っていましたが、ホント、あァ〜驚いた!4は水木シゲルロードの表示板です。5は“砂かけ婆”のマンホールの蓋です。6はトイレの表示でこんな所にも妖怪がいました。1時間の自由時間を目いっぱい使ってしげるロードを歩いて来ましたが、ここは予想以上に面白い所でした。友と「来られて、本当良かったね」とお互いうなずき合った事でした。

 

          

 

1は水木しげるロードから車で約15分の所にある大魚市場なかうらです。ここには山陰の名産品や、境港で水揚げされた鮮魚や珍味などが並べられ、店の前には日本一大きな鬼太郎の像(身長7,7m体重90トン)が立っていました。そしてその頭上には目玉おやじと、左手には境港名物の松葉カニが握られています。また右にはねずみ男(身長172cm、体重685s)もいました。2は店内で、私はダークの世話をしてもらっている旦那に、お酒のつまみを買いました。3はこれから訪れる由志園へのアクセスマップです。4は大魚市場から大根島(由志園)に行くために渡る江島大橋です(マップ3を参照して下さい)。写真はネットから拝借しました。江島大橋とは松江市八束町から境港市渡町を結ぶ橋で、その全長は1704mもあります。橋の下を5千トン級の大きな船が通過できるように、島根県側で6,1%、鳥取県側で5,1%の勾配を設け、高さ約50mまで上るように設計されています。ダイハツタントのCMで、あまりにも橋が急勾配のため車のアクセルを全開にし、ベタッと踏んで渡る事から『ベタ踏み坂』として配信され、一躍有名になったそうです。しかし4の写真はベストポジションから撮ったもので、実際にはこの様な写真はなかなか撮れません。5はバスの中から私が撮った『ベタ踏み坂』です。6は由志園(ゆうしえん)の入口である長屋門です。

 

        

 

由志園は大根島(だいこんじま)の観光開発を目的として1975年に開園した施設です。園内には約4万uもある池泉回遊式日本庭園と、4つの食事処、それに1年中満開の牡丹が鑑賞できる牡丹の館などがあります。またこの地は牡丹の栽培が盛んである他、朝鮮人参の生産地としても有名で雲州人参ミュージアムも併設しています。もともと朝鮮人参は20年間連作が出来ないため、その後に牡丹の花を植えたのが始まりだそうです。1は由志園のパンフレットで、2は園内のマップです。3は本日の昼食・カニしぐれ膳です。4つの食事処の1つ、紅葉亭で頂きました。カニしぐれ膳とはカニが入った上品なお茶漬けの事で、松江7代目藩主・松平治郷が好んだ食事を再現したものだそうです。松平治郷は別名・不味公(ふまいこう)とも呼ばれ、松江にお茶文化を広めた殿様です。そのため松江は個人の抹茶消費量が日本一だそうです。その紅葉亭が4の写真では左に写っています。食事後はフリータイムとなったので、4の紅葉橋を渡り庭園の散策に出かけました。5はその先にある“牡丹の館”で、その前に咲いていた枝垂れ桜が、とても風情があって素敵でした。

 

        

 

牡丹の館では開花調整の難しいと言われる牡丹を、温度、湿度、日照管理に細心の注意を払って、1年中大輪の牡丹を咲かせています。1はその館内で、中は苔を素材とした日本庭園が造られ、牡丹が勝ち誇ったかのように咲いていました。2は牡丹の館から出たすぐの朱橋です。朱色の橋とピンクの桜と緑の苔とが池面に映り、まるで一幅の絵画を見ているような風景でした。3はさらにその先にある枯山水です。4は中海を模した池泉です。この池では毎年4月の下旬から1週間の限定で、池に5万輪のボタンが浮かぶ“池泉牡丹”が出現するそうです。それが1つ上のパンフレットに載っている写真です。閉園時に前日の牡丹の花すべてを回収し、翌日の朝の4時から切った牡丹を池に浮かべて開園を迎えるそうです。大変なご苦労をされているのです。それゆえに見る人の心を打つのでしょう。「何度みてもあの景色は忘れられません。出来ましたらその季節に、ぜひもう1度お訪ねになって下さい」と、売店の人が説明して下さいました。本当にその景色を見てみたい!と思った事でした。ここはまるで足立美術館のミニ版です。島根県って足立美術館と言い、こんなにも素敵な庭園がある県だとは今まで知りませんでした。

 

     

 

由志園を出る頃から雲行きが怪しくなり、着いた松江城は今にも雨が降りそうでした。1は松江開府の祖・堀尾吉晴(ほりおよしはる)の像です。堀尾吉晴は関ヶ原合戦の後、浜松から月山富田城に入りましたが、松江の将来性に着目して松江城を築きました。そしてその息子・忠氏(ただうじ)が、松江25万石の初代藩主となっています。2は松江城の散策マップで、私たちは大手前駐車場から入場しました。3は二ノ丸石の段で、手前の石垣にハート型の石がはめ込まれていたのはご愛嬌でした(写真4)。3の石段を登りつめた右側に古い石垣の一部があり、そこに堀尾家の家紋(分銅紋)が刻まれています。それが5の写真で、工事の分担や石切場の区分、別合わせなど、土木工事を円滑組織的に行うために付けられたものだそうです。松江城の石垣は、“野面積み”と“打ち込み接”という石積み手法で、城は5年で完成しましたが、そのうちの3年を石垣に費やしたといわれています。6は一ノ門で、ここで入場料を払い城内に入りました。

 

     

 

松江城は全国に現存する12天守の1つで、入母屋破風の屋根が、羽根を広げたように見えることから別名『千鳥城』とも呼ばれています。高さ30mの木造建築は1611年に築城され、構造は地下1階、4重5階の平山城です。天守入口に張りだしたものは附櫓(つけやぐら)と言い(写真1)、中に入ると枡形の小広場が2段あって敵が侵入しにくい構造になっています。また外壁は黒い雨覆板を使った“下見板張り”で覆われ、天上には高さ2mの木造の鯱鉾が乗っています。彦根城を訪れた時も思ったのですが、やはり城には桜が良く似合う!と実感しました(写真2)。松江城は昭和10年に天守が国宝に指定されましたが、昭和25年には重要文化財になっています。それは格下げではなく、旧法(国宝保存法)の廃止と新法(文化財保護法)の施行に伴うものでした。時は流れ平成24年に、国宝指定に重要な築城時期を特定できる祈祷札が、松江神社で見つかりました。そしてその札が、天守地下1階にあった跡とぴったり符合したのです。この事から平成27年に改めて国宝に指定されました。その札が3で、4はその事を説明したものです(祈祷札は1611年となっている)。現在札は地下1階の柱に取り付けられています(レプリカ)。5は最上階に飾られていた”国宝指定書“です。6は厚さ約10cm、幅1,6mの桐の階段で創建当時そのままの姿で残っています。桐材を利用した理由は、防火・防腐の目的のほか、敵が城内に侵入した際、階段を取り外せるよう軽い桐を採用したと考えられています。また柱は包み板や帯鉄が巻かれ、補強が図られていました。

 

    

 

1は天守望楼からの眺望で、右奥には宍道湖が見えます。しかしあいにくの空模様で、せっかくの宍道湖も霞んでいて残念な思いをしました。2は北ノ門跡で、そこを左に見て馬洗い池へ。馬洗い池からは道を左に取り、3の護国神社へ。ここに来て雨は本降りとなり、ようやく持って来た傘の出番となりました。周りを見渡すと、あんなに沢山いた人は誰1人といません。ここには戊辰戦争から第二次世界大戦に命をささげた、旧出雲国・隠岐国出身の2万3000柱が祀られています。当初は素通りするつもりでした。しかし明日は出雲大社(国造りの神様)に参拝します。故にその前に、国を守った英霊に頭を下げるのは理にかなった事ではないかと思い直し、参拝することにしました。拝殿の脇には黒地に赤で”大勝利祈願“と書かれた幟がはためき、奥には天皇皇后両殿下御参拝や、常陸宮同妃両殿下御参拝の木札が奉納されていました。参拝後、護国神社から稲荷橋、新橋を渡り小泉八雲記念館へと急ぎました。4は小泉八雲旧居で、2館(記念館と旧居)とも時間の制約上外見だけの見学です。5は塩見縄手(しおみなわて)で、縄手とは縄の様に細くのびる1本道の事を言い、江戸時代、松江藩中老”塩見小兵衛“の屋敷がここにあった事に由来します。道は松江城北側の堀沿いにある明々庵から、小泉八雲旧居までの約500mです。そこには江戸時代当時の面影が、今も色濃く残っていました。南側の堀端に連なる老松の大木は、造成された当時に植えられたもので、北側は武家屋敷、長屋門、白壁などの建物が並んでいました。右の松は縁結びのスポット”ハートのくぐり松”です。縁結びとは程遠い所に居る私ですが、試しに私もくぐって来ました。

 

     

 

1は武家屋敷の長屋門です。2は松江市のマンホールの蓋で、長屋門と石畳が図案化されています。3は本日最後の見学地・いずもまがたまの里伝承館です。ここ玉造は、古代より勾玉など玉類の国内有数の生産地です。“古事記”に須佐之男命がヤマタノオロチを退治した後、玉造の勾玉を天照大神に献上し、これが皇位継承の印である三種の神器の1つ、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)となった事が記されています。ここでは勾玉の歴史や種類、またNHKの大河ドラマに貸し出された装飾具なども展示されていて、興味深いものがありました。大国主命に助けられたウサギは、縁結びの使いとされ、その兎に触る事で、福が授かるようにと当館の前に置かれていました。それが3の2匹のウサギで、手には勾玉を持っていました。4〜6は今夜の宿・玉造温泉の松乃湯です。5は玄関に敷かれたカーペットで、そこに描かれた女将様がにこやかにお出迎えしてくれました。6はフロントに掲げられていた天気予報で、明日もはっきりしない天候のようです。この後部屋で少し休んでから温泉街の散策にでかけましたが、その時の様子は次回で綴りたいと思います。                                記・平成30年7月29日                                  

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