<猪鼻王子>

 平安時代末期の藤原宗忠の参詣記『中右記』には「
三輿の多介(※みこしのたけ:三越峠※)を越え、次いで谷を下
」り、谷川を渡ること数度。亥の鼻
(※いのはな:猪鼻※)を過ぎ、ついで発心門に入る」とあり、鎌倉時代初期の『修明
門院御幸記』には「
湯川王子に参御し、次いで猪鼻王子、次いで発心門王子において御禊あり」とあります。