<小判地蔵>

 江戸時代末期のことです。滝尻から近露に至る途中の十丈峠で、ひとりの旅人が息絶えていました。旅人は、最後の旅費である大切な小判を一枚、口にくわえて亡くなっていたそうです。村人たちは、その哀れな遺体を山すその慈恩寺に手厚く葬りました。そして倒れていた場所には、慰霊と道中の安全を見守る守護仏として、口に小判を一枚くわえた姿の石仏を建てたのです。その台座には嘉永七年寅(1854)豊後有間郡(大分県)と刻まれています。