紀州備長炭窯元 山田木炭

ご覧いただきありがとうございます。

山田木炭は和歌山県串本町で

紀州備長炭の製造と販売を行っています。

 

炭焼き師 山田 晃 

2006年 8月

紀州備長炭との出会い

 

 私が妻とよちよち歩きの長男と共に和歌山に移り住み、炭焼きを始めてもうすぐ七年が経ちます。都会で生まれ育った私は、それまで炭や炭焼きを意識したこともありませんでしたし、現代の日本に炭焼きなどというローテクな仕事が職業として成り立つとは思いもしませんでした。そんな私が現在、縁もゆかりもない紀伊半島の南端で、炭を焼いて暮らしていることを自分でも不思議に思います。「なぜ炭焼きを始めたの?」とよく聞かれますが、正直言って自分でもよく分かりません。やろうと思ったときも炭焼きについての知識はほとんどありませんでした。あったのは「炭焼きは何だか良さそうだ」という根拠のない勘だけでした。

 炭焼きに興味を持ったきっかけは、長男の腕の虫さされのあとを見た方から「これをつけるといいよ」と頂いた竹酢液でした。私は初めて見るその茶色い液体の、甘酸っぱい煙の香りがとても気に入りました。そしてその液体が炭を焼く時に出る煙から採れるということを聞いて、そのとき初めて『炭焼き』というものを認識しました。山の中でこの臭いに包まれて炭を焼くというのはきっと素敵なことなのだろうと想像しました。竹酢液のおかげで長男の腕の虫さされのあとは日に日に消えてゆき、逆に私の中では炭焼きに対する興味が増していきました。

 そんなある日、図書館に行って炭焼きについて書いてある本を探して、パラパラとページをめくっていると、「紀州備長炭」という五文字が目に飛び込んできました。もちろん紀州備長炭という名前くらいは聞き覚えがありましたが、その名前を意識してじっくり見たのはそのときが最初でした。その漢字五文字が一体何を意味するのかは謎でしたが、漠然と伝統や職人気質などが連想され、カッコいい名前だなと思いました。その本の数行の記述によると、和歌山で現在でも製造されていること、炭の中でも最高級品であることなどを知りました。和歌山は以前訪れたことがあり、温暖で海がきれいという印象がありました。この時点で、炭焼きになること、和歌山で紀州備長炭を焼くことを心の中で決めました。


和歌山へ

 

 炭焼きになろうと決めてはみたものの、炭焼きについてまるで知りませんでしたし、どうやったら炭焼きになれるのか全く分かりませんでしたが、とにかく現場を見てみようと思い、和歌山に視察に行くことにしました。視察に出る前の晩、和歌山出身の友達に久しぶりに電話をかけて、「実はこういうわけで明日から和歌山に行くんだけど」と言うと、なんとその友達の先輩が和歌山の本宮町で炭焼きをしており、新しく窯を作るので人手を探しているといいます。その友達は三日前に手伝わないかと誘われたけれども体力的に自信がないので断ったとのこと。早速連絡をとってもらいまずは本宮町に行くことにしました。

 本宮町の炭焼きのさんは、他所から移住してきて、ほとんど独学で炭焼きを身につけた方でした。さんから紀州の炭焼きについての情報をもらい、何人かの炭焼きさんを訪ねてお話を伺いました。私が炭焼きになりたいと言うとどの方も第一声は「やめたほうがいい」でした。体力的にきつく、景気も悪いからというのが主な理由でしたが、話しているとどの方からも、「ハードだけれどこの仕事が好きでやっているんだ」という気持ちが伝わってきました。それぞれの窯場にうかがって、口焚きの火を見ながら話を聞いているうちに自分も炭を焼きたいという思いはますます強くなりました。

 改めて、Nさんのところで炭焼きを勉強させてもらいたいとお願いし、了解して頂きました。そうと決まればまずは家探しです。本宮町内の空き家を手当たり次第に当たりました。しかし空き家はたくさんあるのですが、どこの馬の骨とも分からない者に家を貸してくれる方はなかなかいません。結局Nさんに話をしてもらってようやく貸してくれる家が見つかり、家族を呼び寄せることができました。このように間に入って話をしてくれる人がいるかどうかはとても重要で、炭の原木を伐る山を買う時も、山主の知り合いの方に仲介してもらうと話がスムーズに進むことが多いです。

 図書館で炭焼きになろうと決めてから、Nさんのところで修行させてもらうことが決まるまでの二週間は、あっという間の出来事でした。不安はありましたが悩む暇もないくらいトントン拍子に話が決まっていったので、ただその流れに身を任せて行動している感じでした。たまに私のところに「炭焼きになりたい」とか「田舎暮らしがしたい」という方がいらっしゃいますが、いろいろ考えすぎてしまってなかなか実現できない方が多いように思います。そのときの私は考えるよりもただ自分の勘に従い、炭焼きになりたい一心で行動していました。もっとも考える程の情報も経験も持ち合わせていなかったので考えようもなかったのですが。


修行・独立


 こうして炭焼きの世界に飛び込みましたが、山仕事に関しては右も左も分からないまったくのド素人でした。チェーンソーを使ったこともないし、杉と檜の区別もつきませんでした。ただやる気と、自分は炭焼きになれるという自信はなぜかありました。炭焼き修行は辛いものでしたが、独立して一人前の炭焼きになるという目標があったので辞めようと思ったことは一度もありませんでした。Nさんの焼き方を見ながら他の炭焼きさん達のところにも勉強に行き、それぞれのスタイルを見て参考にし、独立したら自分はこんな風にやろうという想像をするのはとても楽しいことでした。

 やがて弟子入りして一年が過ぎ、ようやく独り立ちすることになりました。独立にあたって、窯、家、原木を調達する山、軽トラックなど炭焼きに使う道具、炭を卸す問屋さん等、必要なものや解決しなければならない問題はたくさんありましたが、助けてくれる方々に恵まれ、おかげさまで那智勝浦町浦神で炭焼きを開業することができました。炭焼きをするために和歌山に来てから今まで、幸いにも良い出会いに恵まれ、多くの方々のお世話になりました。人の助けなくして、見ず知らずの土地で炭焼きをすることはできなかったでしょう。今こうして炭を焼いて生活できることは本当にありがたいことです。

 

炭焼きという仕事

 

 念願の独立を果たし、やっと自分の仕事が持てた喜びで、最初の一年位は無我夢中で、寝ても覚めても頭の中は炭焼きのことでいっぱいでした。「和歌山で一番の炭焼き職人になるんだ」という心意気で仕事に励みました。「自分の力で最高の炭を焼いてやるぞ」と意気込んでいましたが、炭を焼いていくうちに、私が木を炭に変えられるわけではないということに気付きました。木は土と石でできた窯の中で、自然の力を借りて自ら炭になるのです。炭焼き職人にできることは木が炭になるようにしむけること、そして全体をみて、うまく炭になるように調整することです。これはお百姓さんと農作物の関係と一緒だと思います。野菜が育つのは野菜自体の力であって、お百姓さんが野菜を大きくできるわけではありません。お百姓さんにできることは順調に育つように世話をすることです。ちょっと考えれば当たり前のことなのですが、「和歌山で一番の炭焼きになる」などとあまり意味のないことを思っていたので、視野が狭くなっていて気がつかなかったのです。このことに気付いてからは、なんとなく肩の力が抜けて、いい感じで炭焼きに取り組むことができるようになりました。あくまでも炭焼きの主体は(木)炭であって私ではないのです。それ以降、思い込みや偏った見方をしないように、できるだけ素直な気持ちで窯の前に立つよう心掛けています。

 炭焼きは自然の中でする仕事で、自分の精神状態も含め、自然界の様々な事象が炭に影響してきますが、それらは一窯ごとに異なります。相手が自然という大きなものなので全てを把握することは不可能です。この道50年の大ベテランの先輩でも「炭焼きはいまだによう分からんところがある」と仰っていましたが、炭焼きとは決して極めるということができないものなのかもしれません。炭焼き職人は経験によって培われた感覚を頼りに、その時の状況に応じて窯をコントロールします。それは個人的な経験に基づく感覚なので、窯も違えば性格も違う炭焼き同士で共有することは難しく、炭焼きを言葉で教わってもかえって混乱することが多いです。人によって焼き方は千差万別で、他の意見を参考にしつつも、経験を積みながら独自のやり方を追求するのが一人親方である炭焼きの流儀のようです。

 炭焼きの仕事で、面白いと思うことのひとつは、ゼロから(自然から頂いて)ものを作り出せることです。せっかく山に生えている木を切らせてもらうのだから、その木を人に喜ばれるような炭に焼いてあげたいと思います。一本一本の木がそれぞれ持っている、炭の原木としてのポテンシャルを最大限引き出すことが炭焼きの努めだと感じます。そのためにどこまで木の気持ちを理解できるようになるか,どこまで自然と一体化できるようになるかが、私が炭焼きを通して研究する課題だと考えています。


ページトップへ   

炭焼きになるまで