はじめに このページは、膠原病と診断された方の不安や心配が少しでも軽くなればいいなと思い、自分の経験を書きました。膠原病の疑いありと診断されたけど、お姑さんに言えないとか、入院しなくてはいけないけど、子供の世話はどうしようとか、いろいろな悩みを耳にします。私の場合、大変ラッキーな境遇だったので、あまり参考にはならないかもしれません。しかし、一人で悩んでいても、つらいばかりです。人に話すことで気が楽になることもあります。病気のことに無関心の人に話しても、わかってもらえないこともあると思います。私で良かったら、お話を聞かせてください。

膠原病(こうげんびょう) ひと昔前は不治の病。難病と言われていた。でも現在では、まだ原因は不明だけど、治療法の発展により、病気のコントロールができるようになった。急性期を乗り切れば、慢性疾患として、病気を持ちながらも、通常の日常生活が可能になっている。

発病 私がこの病気になったのは、第2子を妊娠中だった(と思う)。定かでないのは、通院中の産婦人科が頼りなく、体調不良を訴えても、『わからない。とりあえず産んでみないと・・・』という対応だったから。妊娠中期から微熱が続き、顔にはいわゆる蝶斑が出ていた。妊娠後期になると、手足の指が腫れ、関節痛(激痛)で包丁が握れなくなった。私としては、その時の体の状態から、膠原病を疑っていたが、第1子がちょうど手のかかる時期でもあったし、医者に『わからない』と言われてはどうしようもなく、とにかく無事に出産できることだけを祈った。

出産後に肝臓ダウンで入院 全身のだるさと関節痛が極限に達した頃、クリスマスに無事生まれた。男の子だった。産後一週間の入院中に(不思議なことに)だるさと関節痛がス〜っとひいた。膠原病を疑っていた私は取り越し苦労だったか?と、幼児と乳児の世話に明け暮れた。しかし、これは嵐の前の静けさだった。1ヶ月後、再び手足の指が腫れ、手足首の激痛が起こり、病院へ行った。やはり膠原病の疑いありということで検査中、40度の高熱が出て、肝炎で即入院になった。検査の結果、病名は全身性エリトマトーデス。安静にして退院後、関節痛はボルタレン(痛み止め)で抑え、育児に復帰した。

腎臓ダウンで入院 たいしたこともなく、3ヶ月が過ぎた頃、まぶたが腫れてきた。激しい頭痛で、横になれなくなった。座ったままでうつらうつら眠る日が2週間ほど続いた。子供たちの世話でくたくただが、ここでダウンするわけにはいかない!が、とうとうだるくて動けなくなった。今度は腎臓ダウンで入院することになった。腎生検でループス腎炎W型(ネフローゼ症候群)と診断が下った。腎炎のせいでかなりの高血圧。激しい頭痛はそれが原因だった。ステロイド(1日50mg)の服用を始めた。

脳梗塞と視野障害 腎生検した日の夜、激しい頭痛と吐き気に一晩苦しんだ。翌朝、目が見えなくなっていた。正確に言うと、視野全体にモザイクがかかったようで、物がハッキリ見えない。腎生検の後、血圧が上がり、降圧剤を使って下げた。(このせいか?どうかはわからないが)脳梗塞が起き、視野に障害が出たのだ。すごいショックだった。もう、夫の顔も子供たちの顔も見ることができないのか・・・病院のベッドの上で一日中、トイレも行かず、呆然と座っていた。

闘病(半年の入院) 人間の身体とは不思議なもので、目は回復していった。濃いモザイクから薄いモザイクへ、視野全体にかかっていたモザイクもだんだん小さくなっていった。1ヶ月後には視野の中心部が見にくいなあ・・・くらいまで回復した。肝腎の尿たんぱくの方は一向に減らず、身体はどんどんむくんで、一週間で10数キロも体重が増加した。利尿剤を飲んだら、数日で一気にしぼんで元に戻った。ステロイドパルス療法もしたが、効果なし。それでステロイドに加えて、免疫抑制剤(エンドキサン)を服用することになった。これが効いたのか、順調に尿たんぱくも減り、薬も減り、週末は外泊して家で家族と過ごせるようになった。

退院とその後の経過 しっかりと半年も入院し、休養したおかげで、退院後は快調に生活できている。3年経った現在、月1回通院して、ステロイドは1日8mg服用しているが、日常生活には支障なく過ごしている。しかし、病気の性質上、太陽に当たれないので、紫外線防止のため夏でも、長袖、長ズボンでいる。顔にはもちろん日焼け止めクリームをしっかり塗っている。手指のレイノーや霜焼け状態は年々ひどくなってるようだが、他は発病前と変わりない。むしろ昔よりも元気かもしれない。もう入院はイヤだから、無理をしなくなったから。それと、もう周りに迷惑をかけたくなくて、気が張ってるからかな。

家族のこと(子供たち) 私には子供が二人いる。長期入院時には長女2歳、長男0歳だった。長女は同じ敷地内に住む夫の両親に預かってもらい、長男は隣県にいる私の両親に預かってもらった。子供はとっても不安だっただろうと思う。特に長女は、私が外泊許可をもらって家に帰った時、私になじまず、私と二人になるのを嫌がった。悲しかった。ホント悲しかった。週末を家で過ごして、日曜日の夜に病院に戻った時、いつも涙がポロポロ出た。さみしくて、悲しくて、なんで私は病院のベッドにいるんだろ・・・と。長男の方は、生後半年から1歳までの間、離れて暮らしていたため、かわいい時期を一緒に過ごせなくて非常に残念だった。親に預けた時は、おぎゃ〜おぎゃ〜と泣く赤ん坊だったのに、1歳で引き取った時には立って歩き、すっかり子供になっていた。

家族のこと(夫) 膠原病と診断された時、なぜかすぐに『離婚』を思い浮かべた。以前にどこかでそういう話を聞いたことがあったのかもしれない。肝臓ダウン、腎臓ダウン、おまけに脳梗塞を起こした・・・妻として、母親として、人間としてもすっかり自信がなくなった。何をやってもダメな気がした。いや、何もできないんじゃないかと思った。何もやりたくないと思ったのかもしれない。ありがたいことに両親は健在で、子供たちは親に面倒をみてもらった方がいいんじゃないかと思った。今から思うと、悲劇のヒロインになりきっていて、滑稽だが、当時はホントに落ち込んでいたのだ。目がよく見えないから、トイレも食事も手さぐりでしなきゃいけない。いっそ私なんていない方がうまくいくんじゃないかと真剣に考えた。夫も両親も私の悩みを『なにバカなこと言ってんだか・・・』と一笑に付した。『みんなに迷惑をかけて申し訳ない』と言う私に、夫は『家族の中で、迷惑をかける・・・なんてことはない。家族のために何かしたり、してもらったりは当然のこと。迷惑なんかじゃない。病気で一番つらい思いをしてるのはヒロコなんだから、早く元気になることだけを考えていればいい』と言った。そうかもしれない。たとえ、目が見えなくても、寝たきりでも、家族のために私ができることはあるはずだ。ひとりの方が気が楽だなんて、逃げようとしたことが恥ずかしかった。この人と結婚して良かった。一緒にいられるだけで、しあわせよね。ありがとう。

家族のこと(両親) 私が入院中に子供の世話を頼んだことで、どちらの両親にも大変な迷惑をかけてしまった。とにかくできることから、少しずつでも恩を返していこうと思っている。夫の両親とは、この闘病生活があったから余計に強い信頼関係が築けた気がする。病気にならなかったら、私はもっともっと生意気だったかもしれない(病気になっても、かなり態度はデカイが・・・)。素敵な舅姑に出会えて、つくづくしあわせな嫁だと思った。おとうさん、おかあさん、ありがとう。
私の母は、私の病気を知った時『ごめんね。丈夫に産んであげられなくて・・・』と泣いた。体質は遺伝しているかもしれないが、私の病気は母のせいではない。母の方こそ、自己免疫性肝炎(膠原病の類似疾患)を患い、、糖尿病で一生、インシュリンを打たなければならなくなって大変だったはずだ。闘病しながらも母は、生後半年の赤ん坊を引き取って、1歳になるまで育ててくれた。しかしやはり、無理がたたったのか、息子が3歳の夏、ガンであっけなく逝ってしまった。私が回復し、これから恩返しができると思ったところ、逝ってしまった。母には何もしてあげられなかった。いままでの私の人生で最大の後悔。

プレドニンの副作用 プレドニンを大量に服用していると、顔やおなかに脂肪がつく。顔はお月様のように丸くなるため『ムーンフェース』と呼ばれる。朝起きて顔を洗いに洗面所に行く。もしかしたら、元の顔に戻っているかも・・・なんて妄想を抱いて鏡を見る。しかし現実には昨日と変わらない、パンパンに腫れた顔が映り、鏡を叩き割ってしまいたいくらいだった。胴体の脂肪のつき方もすごい。肩から背中にかけてと、ウエスト部分にタップリ!ズッシリ!とつく。太った・・・とは違うから、下腹にはつかない。ついでに言うと、胸はペッタンコになるから、胴体はまさにビア樽そのもの。副作用で顔も体型もすっかり変わってしまうが、薬の量が減ると、徐々に元に戻ってくる。体型は割合すぐに戻るが、顔は2年くらいかかった。
 それから、髪がすごく抜けたし、バサバサになって伸びなかった。肌もガサガサになり、手や足の皮がボロボロとはがれた。汚らしい言い方で申し訳ないが、垢がたまっているのかと思い、ゴシゴシこすったら、真っ赤になってしまった。しばらくは一人で悩んでいたけど、思い切って主治医に話したら、副作用だから肌を傷つけないように!と言われ、軟膏を処方してくれた。

子供の膠原病疑惑 膠原病は感染する病ではないし、遺伝病でもないと言われている。しかし、妊娠中の母体が自己抗体(例えば抗DNA抗体、SS-A抗体)を持っていると、生まれた子供に膠原病類似の症状が現れることがあるらしい。出産時、私は上記の抗体を持っていて、息子は生まれた時、不整脈があり、退院が長引いた。もしかして、小児膠原病か???と疑い、その後、大学病院で検査を受けた。結果は異常なし。幼児によくある症状らしい。就業前には治るとのことだった。

最後に 膠原病になって いろんなことの有難みがわかった。健康っていい!!それに、一人じゃないって、いい。病気になって周りの人にいっぱい助けてもらった。病気になる前には見えてなかったことが、たくさん見えるようになった気がする。つらいこともたくさんあったけど、大事なこともたくさん学んだ。この膠原病は私の人生にとって、必要なことだったのかもしれない。


ムーンフェースは
こちら↓

膠原病のこと

2002年 春 記載


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