Lunebald
ルーンバルト王国
人口:約500万人
首都:カッセリア
政治体制:専制君主制
支配民族:エストア系 民族構成:エストア系4割、コルティア系2割、コルト系2割、南方系1割、その他亜人種やヴェルナ系
アファンナ朝エストア帝国の東方拡大の動きの中で建設されたカッセルファーレン辺境伯が起源。450年頃からアファンナ朝が衰退し始めると、先住コルト人勢力のみならず周囲の開拓都市までも征服し、勢力を拡大した。471年には東部辺境屈指の良港を持つ帝国自治都市ラントハイムを併合し、現在のルーンバルト領の北半分を制圧した。521年にはルーンバルト王国の建国を宣言。更に北に兵馬を進め、ラヴナリア市を中心とする北の都市国家連合(後のラヴナリー=クローヴィス諸侯国連合)と対決する。当初は優勢で15の都市国家を征服し、ラヴナリア市にまで攻め上ったが、同市郊外の会戦(ラヴナリー会戦)で大敗し、結局得るところなく撤退した。しかし、領土拡大の意欲は収まらず、今度は南方に進出し、建国間もないヴェルナと対峙した。一進一退の攻防が長く続いたが遂に551年、決着を図って挑んだ会戦で大敗を喫し、ついに撤退する。553年、前年に矢傷で病没した先王に代わった国王によって抜擢された若き宰相フルトンは、現有領土が東部辺境で最も恵まれた土地であることと長きに渡った征服戦争による膨大な損失を鑑み、専守防衛の対外消極政策の方針を内外に発表した。この方針の下、以後、ルーンバルトは着実な農業生産の向上とヴェルナから西へと続く交易路の中継で、堅実な繁栄を享受することになる。
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