優 し さ

 
  「おい、やっちまいな!」
  「それっ!!」
 音域の高い、よく通る声が茂みに木霊する。青いセーラー服の少女一人に、数人の私服姿の少女たちが
 周囲から一斉に攻めかかる。一人対六人。どう見てもセーラー服の少女に勝ち目は無かった。
 だが、彼女の瞳に諦めの気配は無い。すっと身を低くすると、その内の一人におもむろに突っ込んだ。
 そして、面食らった少女に逆撃を加える。それをまともに食らった少女が昏倒し、包囲の輪に穴が開いた。
 しかし少女はその輪の外に出るかと思いきや、もう一人その隣にいた少女にも一撃を加える。
 一挙に二人、彼女の足許に沈んだ。
  「ちぃっ!!」
 囲んでいた少女たちは彼女から間合いを取り、再び対峙する。セーラーの少女はただ静かに、
 目の前の少女たちを見据えた。そしてその数瞬後、今度は彼女の方から攻撃を仕掛ける。
 そして咄嗟に防御の構えを取る少女たちの目の前で急停止し、防御の隙間から彼女達に拳撃を叩き込む。
 その凄まじさたるや人間とは思えないほどであった。暫くすると、六人の少女たちは全員彼女の足許に
 倒れていた。
  「……戦略は正しかったけど、戦術を間違えたね。」
 少女は、そう言い残してその場を去った。
 
  少女の名は紫音(しおん)。とある学園に通う学生である。彼女は、学校や級友からはどちらかと言うと
 煙たがられていた。あまりの喧嘩の強さと、そしてそれによる他校の不良との確執の多さ、その為に
 彼女に近寄る者はいなかった。唯一人を除いて……
  「紫音さーん。」
 その声に彼女は振り返る。
  「……那菜美。」
 那菜美と呼ばれた少女が彼女の傍に来る。紫音の顔を見れたのが嬉しいのか、那菜美は息を切らせながらも
 ニコニコと微笑んでいた。
  「一緒に帰りましょう。」
 那菜美はそう言って紫音と並んで歩き出す。紫音はむすっとして那菜美に聞く。紫音は那菜美が苦手だった。
  「……何でいつもあたしに纏わりつくんだ? いつも言ってるけど、あたしの周りがどんなか判ってるだろ?」
 すると、那菜美はにっこりと微笑んで答える。
  「だって、噂に伝わってこないあなたの優しさを知ってますもの。」
  「……。変なやつだよ。あたしのどこが優しいんだか……」
 そう言って、紫音は頭をぼりぼりと掻いた。下校時の、いつもの風物詩であった。
  彼女達が並んで歩くと、まるで鏡に映したかのように同じ動きを見せる為、後ろから見たら双子かと
 間違うほどであった。黒く長い真っ直ぐの髪、殆ど変わらない身長に、特注で誂えた服でも同じように
 着られるほど同じ体格、それで足を踏み出す細かい仕草まで同じなのである。これでは判らない。
 ただ、違うのは鞄の厚みであった。薄い方が紫音、厚い方が那菜美。しかしだからと言って紫音は学力が低いと
 いう事ではなかった。むしろ、学力に関しても那菜美と学年主席を争うほどであったのである。
 大体いつもは先程の遣り取りのみで終わるのだが、今回はちょっと違った。
 那菜美がちょっと俯き加減で穏やかな笑みを浮かべて言う。
  「だって、あなたが自分から戦う時って、いつもそれによって助かる人がいるし。私も、その一人ですよ。」
  「あれはだな、那菜美が勝てる喧嘩で手を出さないからだ。那菜美だって、見た感じじゃ分からないけど
   体術や武術はあたしに引けをとらないだろう。」
 紫音が、ちょっと赤くなりながらぽりぽりと頬を掻き、やり返す。紫音の言うように、那菜美は見た目は深窓の
 お嬢様のような雰囲気を漂わせているのだが、有段者ではないものの幾つかの格闘技を身につけていた。
 しかもその実力は紫音に引けをとらないほど優れている。
  「それに……見てたんですよ。」
  「な、何をよ?」
  「巣から落ちた燕の雛を愛おしそうに巣に返してたの……」
  「うくっ……」
 それを聞いた紫音がカクンッとつんのめる。そして、バッと那菜美の方を見て言った。
  「み、見てたのか……?」
  「ええ。……それに、まだありましたね。」
 那菜美はにっこりと答えて、それからもう一度考える仕草をする。
  「ま、まだあるのか……?」
 紫音の額からだらだらと脂汗が流れる。
  「ええ。色々見てますよ。蟻が大きなビスケットを運ぶのに苦労してるのを砕いてあげたとか、他には……」
  「も、もういい!! 恥ずかしいからやめてくれ!!」
 紫音が顔を真っ赤にして那菜美の口を押さえる。
  「むー、むぅー!!」
 那菜美はまだ言い足りなさそうに紫音を見た。紫音は、心底うんざりしたように大きな溜息を吐いた。
  「あーもう、なんでそんなとこ見てるかな、この娘は……」
 両肩をがっくりと落としとぼとぼと歩く紫音と、にこにこと軽い足取りで歩く那菜美、
 紫音の噂を信じるものたちが見れば、この光景は信じられないものであっただろう。
 うららかな春の日差しに彩られたある晴れた日の午後の出来事であった。  

 


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