内 な る 真 実

 
 母娘(おやこ)が並んで歩いていた。娘の周囲に起こる出来事の為、
 母親が学校に呼び出されて三者で面談をした、その帰りの事である。
  「……あんたに格闘技なんか覚えさせなければ良かったのかねぇ。」
 母親が溜息と共にそう零した。お転婆という訳ではないが、彼女の娘はおとなしいと
 いう事もなく、あまりのいざこざの多さに母親としては心配なのであった。
  その娘の父親は十数年前に他界し、今は二人きりの親子だった。
 生前の父親が娘に格闘技を教え込み、また、その頃から町の道場にも通っていた。
 父親が娘の実力を見抜いていたのか、はたまた、娘に自衛の手段として覚えさせたのか、
 今はもう知るものは居ない。ただ、娘の実力は群を抜いていた。
 付近の同じ年頃の者には、彼女に勝てるものは居なかったほどである。
 試合に出てもその強さは変わらず、小学生の頃からほぼ無敗であった。
 試合では一度だけ、敗けた事があったが……
 今ではその道場には通っておらず、普通に高校生活を送っていたのだが、
 幼い頃から培ってきた格闘の技術と感覚、そして厄介事に首を突っ込む性格が災いして
 彼女の周りでは喧嘩の話が絶えなかった。また、無口な性格の為に学校や同級生からは
 あまり好意的に見られず、人付き合いも殆ど無かったといっていいぐらいであった。
  「……母さんが気に病むことじゃない。あたしの性格なんだから……」
 娘はそう言い、母親の心配を否定した。
 
  「きゃあ!!」
 それから暫く歩いた頃、先の方から少女の悲鳴が聞こえてきた。それに続き、何人かの
 男の声も重なる。
  「いいじゃねえかよ、ちょっと茶ぁ飲みに行こうってだけだぜ。付き合えよ。」
  「減るもんじゃねえだろ? ちょっとだけでいいんだからよ。」
  「いいから来いよ。」
  「やめてください! 放してください!」
 会話の内容からすると嫌がる女の子を無理やり連れていこうとしてるみたいな雰囲気だった。
 林の中にある、人気のない公園の横を通る道、そうなるとあまり宜しい事ではない。
  「ちっ!」
 娘はそう言い、声のほうに走っていった。
  「あ、待ちなさい、紫音!」
 母親は娘の名を呼び、慌てて後を追う。
 
  紫音の足は速い。母親が追いついたときには既にその場は緊張が渦巻いていた。
 娘のこんな状況を初めて見るが、母親としては娘の表情の方が気になった。
 険しいというよりかは最早、憎しみすら見て取れそうな表情になっている。
 男は五人、そのうち二人が先程の悲鳴の主であろう少女を抑え込んでいた。
 そして、母親が吃驚したのはその少女に見覚えがあることだった。
  「那菜美ちゃん!!」
 思わず名前を呼ぶ。何事か言い合っていた彼らが彼女の方を向く。だが一瞬の事だった。
 次の瞬間には彼女の娘、紫音が男達の方に向かって殴りかかっていたからであった。
 
  男達は五人居たとはいえ、不意を突かれて殆ど為す術が無いまま彼女の足許に沈んだ。
 那菜美と呼ばれた少女を抑えていた二人も、まさか人質を無視して突っ込んでくるとは
 思わなかったのだろう。彼女の一撃であっけなく倒れた。
  「紫音さん……」
 那菜美の呼びかけに、紫音は厳しい眼差しを向け、そして次の瞬間には、彼女の手は
 自分の名を呼んだ少女の頬を叩いていた。
  「紫音!!」
 母親の叱責の声が飛ぶが彼女はお構い無しに那菜美を睨んでいた。那菜美は吃驚した顔で、
 叩かれた頬を押さえていた。そこに、詰問するような口調で紫音が声をかける。
  「いつもそうだ……お前は何故、戦わない?」
  「……だって、人を傷付けたくないから……」
 那菜美は俯き、消え入りそうな声で答える。
  「じゃぁ何故、武道を学んだ? あたしを負かす事の出来る実力がある? 何の為に
   それを望んだ?」
  「……私のこの手は、簡単に人を傷付ける事が出来る。骨を折ったり、傷を負わせたり、
   そうする事が出来る……それが恐いの……最初は分からなかった。小さい頃は、
   強くなって父さんに誉めてもらう事が嬉しくて、そんな事考えてなかったから……」
 更に問い詰めるような紫音の言葉に、那菜美は泣きそうな声で答えた。
  「あんたと初めて会ったのは中学時代の、試合のときだったね。あのときのあんたは
   そんなじゃなかった。そして高校に入って、一緒になったときのあんたには
   その時のような雰囲気は既に無く、怯えてるだけだったじゃないか! あれから何があった!?」
 言葉の後半は、那菜美の肩を掴んでがくがくと揺さぶりながら叫んでのものだった。
 それでも那菜美は顔を伏せたまま、首を横に振っていた。紫音は更に言葉を重ねた。
  「何があったか知らないけど、虫酸が走るんだよ! 身を護る、周囲の者を護る力が
   ありながらそれを使わない! そして挙句には自分の身を滅ぼしかけている!
   あたしはそれに腹が立つんだ!!」
  「わ、私は、この手で人を一人、大怪我させたのよ!!」
 不意に、那菜美が顔を上げて言った。いかにもこの手がやったと言う様に手を前で広げる。
 そして、次の瞬間には力無く項垂れた。
  「そのときは試合中の事故っていう事で、私が逆に同情されたぐらいだった。
   でも、その子のお母さんがその後ずっと泣いていたのを覚えているわ。
   お見舞いに行っても、中に入れてもらえない。いつも、その子の病室の前で門前払い。
   その子のお母さんに、娘の人生を返せって言われて……私は、まだその子に
   一言も謝ってない……謝りたいのに謝れない……夢にも出てくる……
   もう、こんな思いはたくさんよ……」
  「なぜ、謝らなければならない?」
 肩を落として話す那菜美に、紫音が尋ねた。那菜美は吃驚して顔を上げる。
  「あ、当たり前じゃない!! 人をそんなにしておいて謝らないなんて……」
  「違う。あんたもその相手も、武道を学んでいながらその覚悟は無かったのか?」
  「え……?」
 紫音の言っている意味を理解できないかの様に、那菜美は言葉を無くして彼女を見つめた。
  「殴られれば痛い。殴っても痛い。それは喧嘩でも武道に関する試合とかでも一緒じゃないか。
   確かに、当たり所が悪ければ何か後遺症が残る事もあるだろう。それにびくびくしてるのか?
   殴られた、骨が折れた、痛い、こんなになったのはあいつの所為だ……そんな事を
   考えるぐらいなら最初からするな。そう言う事だ。」
 那菜美は唖然とした表情で紫音の言葉を聞いていた。
  「……一つだけ、あたしが何故、ここまでこんな事に首を突っ込むのか教えておいてあげる。
   ……後悔したくないからよ。あの時自分がこうしていれば……そんな後悔をしたくないから。
   母さんには迷惑かもしれないけどね。」
 そう言って、母親の方を見る。
  「後悔してそれに潰される人生を選ぶか、それとも一歩前に踏み出せる人生を選ぶか、
   それはあんた次第だけどね。よく考えなさい。」
 紫音は、そう言って踵を返した。後には少女が一人、呆然と佇んでいた。  

 


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