恐 怖
「ぐぅ……ぁ、あ……」
影の如く黒き者に首を掴まれ、宙に浮いている少女の喉から呻き声が洩れた。
少女の足許には、一振りの刀が落ちていた。少女の刀である。
影は、少女の苦しんでいる顔を見てにやりと笑った。
「苦しいか? そなたの姉によって受けた我の苦しみ……まだまだこんなものではない……」
そう言うと、影は少女を空中に放り投げた。
「きゃぁっ!!」
少女は悲鳴を上げた。
影は、手に黒い光を産み出し、それを未だに空中を飛んでいる少女に向かって放つ。
それが少女をまともに直撃した。
少女は声にならない悲鳴を上げ、更に空中を数間吹っ飛んで地面に落ちた。
少女の着ている物はその衝撃で所々破け、肌の見える部分には血が滲んでいた。
影は、少女の方に静かに近づいてくる。
少女は、最早身動きすら出来ず、ただ恐怖と絶望の眼差しで影を見ていた。
この一年ほど前、この影は少女の姉や何人もの剣豪達によって魔界に送り返された。
そして今、影は復活し、自分を追い詰めた者達に復讐しようとしていた。
そしてこの少女は姉の諌めを聞かず、姉を助ける為と勇んで旅に出た。
前回の、鬼のときは良かった。心の準備も出来、何度も戦い、それに、少女の他にも何人もいた。
だが、今回は旅に出て暫くの所でいきなりその影に出くわしたのだ。
前回のように周りに助けはおらず、しかも心構えも何も無い状態であった。
少女は完膚なきまでに叩きのめされ、今やその生命は風前の灯火となっていた。
だが、影はそれでも少女をいたぶり続けた。産み出した黒い槍を少女の腕や足に突き刺す。
「…………!!」
少女はあまりの激痛に目を見開き、その眼から涙を落とした。
喉から声は出ず、ただ噎せ返ったように口を大きく開けているだけであった。
だが、確かに槍は刺さっているというのに、血は一滴も出ていなかった。
「このまま死なれてはそれまでの事……それよりもその恐怖と絶望の感情、
我が喰ろうてやる……そなたの姉にも、絶望という感情を植え付けてやろうぞ……」
そう言うと、影は再び少女の首を掴んで立ち上がらせ、少女に突き刺した槍を抜き、
それを刃物の形に変化させ、少女の服をずたずたに切り裂いた。そしてぽつりと言葉を漏らす。
「……我と交わり……闇の巫女として我が僕となるがいい。」
その言葉の意味を理解した少女は残った力で必死に逃げようとした。
だが、傷つき、しかも首根っこを押さえつけられている状態では逃げる事など出来よう筈も無く、
ただ、影の手の内でじたばたするだけだった。
「……さて、味わうとす……何奴!?」
傍らの茂みに気配が生まれた。それがいきなり飛び出てくる。
「Heyアマクサ!! ユーの好きにはさせないネ!!」
「あなたの好きには……リ、リムルル!? 何故こんな所に……」
現れたのは金色の髪の男と、リムルルと呼ばれた少女の姉であった。
「ね、姉さま……」
少女は、首を掴まれている為、顔だけを姉の方に向けて弱々しく口を開いた。
アマクサと呼ばれた影は、手に掴んでいた少女を横に放り投げると、肩を震わせて笑った。
「クックックックッ……アイヌの巫女よ……そなたの妹の負の感情、前菜とはいえ、美味であったぞ……」
「リ、リムルルに何をしたのですか!?」
少女の姉は吃驚して目を見開き、影に詰め寄った。
……島原に来い……其処でそなたら纏めて相手をしようぞ……
影は不気味な笑みを浮かべると、すぅ、と消えていった。一年前の決戦の地を告げて。
そして、影の気配は消えた。
金髪の男は捕らえられていた少女の方を向き、傍らの少女に声をかけた。
「ナコルルッ! 早く、リムルルを!」
ナコルルは、妹の所に走って行き、彼女を抱え起こした。
「リ、リムルルッ! 大丈夫!?」
リムルルは、天草によって着ている物を切り裂かれた為、全裸であった。
「ね、姉さま……」
リムルルは姉の服を掴むと、彼女の胸に顔を押し付けて泣き出した。
ナコルルはそんな妹の身体を抱きしめ、慰めた。リムルルの身体は恐怖の為か、酷く震えていた。
「……こ、こわ、かった、よぉ……」
「……!! ばかっ! あれほど言ったのに、何故村を出て来たの?」
ナコルルは妹を叱ったが、妹の方はただ泣きじゃくるばかりであった。
そのリムルルの肩に、布が被せられた。金髪の男のマントであった。
「ガルフォードさん……有難うございます。」
「気にする事無いヨ、それに、風邪をひいたら大変デス。」
リムルルは、暫くの間泣き続けていた。