暴 走

 
  ……お前は、今までのアイヌの戦士達や巫女達の誰よりも抜きん出た能力(ちから)を持っている。
  だが、お前の能力(ちから)はとてつもなく大きい。其れが為お前の中のもうひとつの
  人格が成長していくのもまたさだめ。努々(ゆめゆめ)其れを忘れるでないぞ……
 
 今日も空は穏やかな陽射しを大地に与えていた。少女は一人、湖の辺(ほとり)で空を見上げていた。
 空に浮かぶ雲はゆっくりと陽の昇る方に流れていき、優しい風が彼女の身体を包み、流れていく。
 彼女は着ている服を脱ぐと、湖の中に入っていった。初夏の陽射しと湖のやや冷たい水が気持ち良い。
 まだ幼さの残る身体付きではあったが、翌見るとそこには幾筋もの刀傷が刻まれていた。
 彼女はそれらの一つ一つを労(いたわ)る様に丹念に身体を洗っていった。
 
 そして一刻ほど経って、湖から上がり服を着ていた少女の耳に森の方から幾つもの微かな悲鳴が聞こえた。
 「!?」
 彼女は悲鳴の聞こえた方に向かって駆け出した。その声がすぐそこで聞こえるようになったとき、
 彼女は腰に帯びた刀に手を掛け、そのままそこに走り込んだ。そして、そこで見たものは……
 「な……」
 彼女はそれだけしか、声を出す事が出来なかった。悲鳴を上げていたのはまだ自分と同じぐらいの歳の
 少女数人だった。そこに居る少女は全て全裸で、それぞれに数人ずつの男が群がって彼女たちを犯していた。
 男の一人が突然の来訪者に顔を向ける。そして下卑た笑みを浮かべた。
 「こんな所にまだ居やがったぜ。雌犬が……」
 その言葉を合図に、少女たちに群がっていた男どもが、一斉に彼女の方に向かってきた。
 「へっへっへ。今お前も仲間に入れてやる……」
 そう言うと、男どもは一斉に彼女に飛び掛かってきた。
 「くっ!」
 彼女は身を沈めて、飛び出すように走り出した。そして、刀の背で飛び掛かってきた男数人を叩き伏せる。
 「何故……あなた達はそんな事をするのですか!?」
 彼女は男どもに向かって叫んだ。しかし
 「お前らアイヌに俺様達の世話をさせてやってるのさ。ありがたく思いな。」
 返ってきた答えがそれであった。男は横にいたもう一人に目で合図する。その男が刀を抜き、
 犯され放心していた少女の一人の胸に突き刺した。少女は、一度からだをビクンと震わせ、動かなくなった。
 抜かれた刀の痕から鮮血が吹き出る。そして男は、もう一人の少女の髪を掴み強引に立たせた。
 少女の喉からうめきにも似た悲鳴が洩れる。男は少女を羽交い締めにし、その喉元に血糊の付いた刀をあてる。
 「どういう事か、解るな?」
 最初に返事を返した男がそう言った。
 「な、何を……」
 「刀を捨てろと言っているんだ。お前らはそんな事も解らんのか?」
 「わ……私達の事はいいから、早く、逃げて……」
 「黙ってろ!」
 「あうっ!」
 男が少女に突き付けている刀に力を込めた。少女の首筋から一筋の血が溢れ落ちる。
 「……くっ!」
 少女は手に持っていた刀を鞘に戻し、鞘ごと地に置いた。そして男を睨み付ける。
 「へっへっへっ。じゃあ次は、服を脱いでもらおうか。」
 その場に居た男どもから一斉に下卑た笑い声が上がる。少女は唇を噛み締め、腰の帯に手を掛けた。
 「だめっ! 私達の事はいいから、早く逃げてっ!」
 捕まっている少女は必死で声を張り上げる。しかし、
 「だめよ。あなた達を置いて、逃げられない。」
 少女は悲しげに微笑んで、腰の帯を外した。捕まっている少女の顔が悲しみに歪む。他の少女たちも、
 自分たちが受けた仕打ちなどどうでもいいように、口々に「駄目、逃げて!」と叫んでいる。
 しかし、少女は上着に手を掛けると、それを脱ぎ捨てた。彼女の上半身が男どもの目に曝される。
 「ナコルルッ!」
 捕まっていた少女が叫んだ。その双瞳は異様な光を帯びていた。
 「許さないよ。私達の為に、あなたが犠牲になる事は……。私達が居なければ、いいんでしょ?」
 そして、少女の顔は笑みで包まれた。ナコルルと呼ばれた少女は一瞬、彼女が何を言っているのか解らなかった。
 しかし次の瞬間には、その言葉の意味を知る事になる。その場に居る他の少女全員が舌を噛み切り、
 男に捕まっている少女も自分の首に当てられている刀に自ら首を寄せた。少女たち全員がその場に頽(くずお)れる。
 「こ、こいつらっ!」
 「ええい、構わねえ、やっちまえ!」
 残った男どもが一人呆然と佇む少女に飛び掛かる。少女は、はっと我に返り地に置いた刀を手にとって、
 目の前に迫り来る男どもに突進した。
 「うわああああああああああああ!!!」
 目を見開き絶叫しながら男数人を斬りつける。男の返り血が身体に降り注ぐ。少女は男どもを睨み付け、言った。
 「あ、あなた達……自分のした事が、解ってるの?」
 少女の顎は震えていた。刀を握る手は真っ白になっている。男は地に唾を吐き、言った。
 「どうやら、こいつらに奉仕って言葉を教えてやっても無駄みたいだな。」
 「……っ!」
 その言葉を聞き、少女の中で何かが弾け飛んだ。それまでは、まだどうにか保たれていた瞳の穏やかさが、
 一瞬にして、厳しいものへと変貌する。そして、闇を湛えたような漆黒の瞳を目の前で蠢くものに向ける。
 「お前達……何様のつもりなの? 自然の恩恵を忘れた恩知らずが……今また土足で他人の家を踏み荒す……」
 静かに、しかし目の前に居る者にはっきりと聞こえるように言葉を紡いだ。
 「何だと?」
 その言葉に男どもが気色ばむ。少女は更に言葉を発する。
 「自分たちの事を偉いなんて思ってる奴は皆そうなの?周りの事は全く見えず、唯々欲の為に生きる。」
 そう言って、先程拾った、自分の刀を見つめる。そして、目の前にいる男どもを睨んだ。
 「寂しい奴等だね。本当に大切なものが何なのかも解らないの……?」
 「アイヌ風情が、偉そうな口聞くじゃねえか……」
 言葉を聞いた少女の表情が険しくなった。
 「あたしの言った事が解らなかったみたいだね。無知の暴走は止めた方がいいよ。
  あとで自分に反動が確実に帰ってくるから。あの娘と違ってあたしは容赦しないから。」
 「うるせえや、やっちまえ!」
 男どもが吠えて一斉に飛び掛かる。少女はため息を付いて、刀を握り直した。
 「仕方ないね。どうやら実害を被ってみないと解らないみたいだから!」
 言葉の後半に剣戟の音が重なる。一対多数、少女にとっては極めて不利な戦いではあるが、
 同時に、負けられない戦いでもあった。しかし、少女の技と素早さが相手よりも勝っていた。
 次第に男どもの数が減っていく。
  だが、彼女も無傷では済まず、次第にその身体に傷を増やしていった。
 しかしそれでも、彼女の瞳から輝きは消えなかった。怒りに満ちた羅刹の輝きではあったが……
 「うわあああああああっ!」
 残りが二人になったとき、その片方が悲鳴を上げて逃げ出した。だが、少女はそれを許さなかった。
 足許にあった小石を幾つか、礫(つぶて)として投げる。それらは全て、逃げる男の足首や頭に当たった。
 「逃がさないよ!」
 少女はそう言って、逃げようとした男に飛び掛かり、恐怖に目を見開く男の喉元に刃を突き立てた。
 真っ赤な鮮血が飛び散り、少女の身体を更に紅く染める。残る最後の男は、その光景を呆然と見守っていた。
 少女は立ち上がり、その男の方へゆっくりと振り向いた。その全身は返り血で真っ赤に染まり、
 顔にも返り血を浴びていた。その姿はまさに羅刹と言えた。ただ、目尻に浴びた返り血だけが頬を伝い、
 血の涙として少女の心の中を表していた。しかし男はそれに気付かず、返り血を浴びた少女に言った。
 「お、お前は鬼か?」
 少女はそれを聞き、顔を伏せ、肩を震わせて笑った。そして、伏せた顔から血でない何かが地面に落ちる。
 「……鬼はどっちよ? 他人の住んでる土地を奪って生活を奪って、奴隷や慰み物として連れ去り、
  こっちが我慢出来ずに主張すれば反乱だと言われて皆殺される……。鬼はどっちよ……」
 そして少女は顔を上げ、男を睨み付け、最後の一振りをその男に当てた。男は声も上げずに斃れた。
 「いつまで続くのかな……? こんな事……」
 誰にともなく呟き、血糊を落として刀を鞘に納めた。そして、
 自害した少女達の傍らに立ち、肩を震わせて泣いた。
 「あたしは、あなた達と何が違うの? あたしのどこが偉いのよ……あなた達を護る事も出来ないで……
  何が戦士よ、何がカムイの巫女よ……?」
 ひとしきり泣いた後、彼女は身体に付いた返り血を水浴びで落とし、再度少女達の所に戻った。
 「ごめんね……。あたしに何が出来るのか、あなた達に何を期待されているのかまだ判らないけど、
  それでも、今出来る事をさせてもらうよ。あなた達を、あたしの手で土に返してあげるから……」
 そう言って、彼女は少女達の、そして自分が手にかけた男達の弔いを始めた。
 
 「あたしが表に出てくるのは、あんたが色んな意味で耐えられなくなったとき……
  だけどその時は、あたしの方も……耐えられなくなってるのよ。
  だけど、あたしにはあんたのように逃げる事は出来ない……」
 その場に居た全ての者達の魂を弔い終えた彼女は、まるで自分の他に誰か居るように語り掛け、
 そして、自嘲気味に笑った。
 「もっと……強くならなきゃね。」
 そう言って、彼女はその場をあとにした。

 


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