開発デザイン部に所属しまして、名だたるアーチストの原案を陶壁面レリーフに仕上げていくお手伝いをしていました
当時建物の総予算の1%を美術品で装飾する運動があり、レリーフが最も多く採用されていました
美大卒業制作展より
数え切れないほどたくさんのいろいろなレリーフを作りました。また自分もデザインタイル、レリーフ等をたくさん制作しました
試作レリーフ
いわゆる、私の下積み時代で14年続きました。
今思うとこの期間にたくさんの技法を学び、アーチストからは様々な生き方を学びました
私がしぶとく生きているのもこの下積みがあったからです。特に熊倉先生からは厳しく指導を受けました
陶磁器デザインコンペ金賞受賞作
作品には二通りあり、うまく制作出来たいい作品と出来なかった失敗作があります
それはアーチストの人格でサイン等でわかります。
制作以外でも営業に同行し市場調査をしたり、また出来た作品をトラックで全国運び回りました。それは研修旅行でもあったかな。
甍の波
碧 流
信楽はいろんな品種のある陶芸生産地でいろんな変わった作家がいて、なんでもありみたいなところもあり、絶えず変わった新しいデザインが生み出されていました。いろんな面で私なりにかなり鍛えられました
月の波
雲 流
想い出は何といっても毎年の陶器祭りで、展示会に出品したり、どでかい松明を担いで愛宕山に登ったり、太鼓を叩いたり、
野球大会にでたり、その日はお酒を飲んで皆で大騒ぎするのでした。
滋賀国体の聖火ランナー
信楽陶器祭り 炎太鼓
東京、大阪方面での信楽焼き展示会に参加して、皆で信楽焼の将来を考えたりもしました
なかで試験場が開発した蓄光性蛍光釉薬を使ってタイルのデザインをたくさんしました。
風の舞
宇宙の風
それは地下街の床タイルに使用すると停電になっても皆が安全に外へ誘導出来るもので、試作をたくさん作りましたが
売れませんでした
でも私には良い勉強になり、手元に作品が残っています
遠赤外効果を利用した、陶器のデザインもしました。また作品の紹介をしましょう
シャドー
今でも使っている粘土は当時の工業組合の粘土係りの人と共同で開発した粘土です
オリジナルの釉薬もデザインに合わせてたくさん作ってもらいました
なかでも金彩釉は皆が使っています