文学の授業


      ごんぎつね  新美南吉 作  かすや昌宏 絵

                                                                                                                           平成24年 8月 2日修正
                                                                                                                          
作成者   奥 村 康 造

(1)教材分析

 @作品について

  「ごんぎつね」は、南吉が半田中学校5年生(17歳)の時に書かれ、二年後の昭和7年『赤い鳥』1月号に掲
 載 された作品である。

  南吉は、自分の生まれ育った半田(愛知県)の風土や、見聞きしたことなどをたくみに作品に活かす作家であっ
た。たとえば、題名の「ごんぎつね」である。村にごんげん山と丘があって、少し昔、そこに住んでいた狐が死
に、村びとがあわれんでとむらったという話に由来しているようだし、「中山さま」は、実は、中山君という友
人がいて、その家がむかし殿様であったことをヒントにしている。
また、「兵十」は、漁の大好きな実在人物江
端兵重がモデルであった。さらに、六地蔵やひがん花の咲く道など、のどかで美しい半田の農村地帯の風景その
ものである。               
               (白泉社 ごんぎつね 浜野卓也氏の後書きより)

 A作品の背景について(ウィキペディアより)

この物語の舞台である愛知県半田市は、南吉の出生地である。 南吉が、この物語を執筆したのは、わずか17歳(1930年)の時で
あった。この物語は、彼が幼少のころに聞かされた
口伝を基に創作された。 南吉は4歳で母を亡くしており、孤独でいたずら好きな
狐の話が深く影響を与えたとされている。
『ごん狐』は、元猟師の口伝として存在したオリジナルの『権狐』、新美南吉が口伝を物語
にまとめた草稿の『権狐』及び、南吉の『権狐』を
鈴木三重吉が子供用として編集した『ごん狐』が存在する。 国語の教材や絵本で
一般に親しまれているのは『ごん狐』である。 南吉の草稿の冒頭部分によれば、口伝の伝承者は「茂助」という高齢の元猟師であ
り、若衆倉の前で幼少の南吉に話を伝えたとされている
[1]伝承者「茂助」は確認されておらず、口伝のオリジナルは失われてしま
っていることから、草稿の冒頭部分も南吉の創作作品の一部ではないかという見方も存在する。 ただし、草稿の『権狐』には本職
の猟師でないと知りえないような情報が含まれている。 また、口伝に登場する権は、兵十の母の葬式を見て、悪さをしなくなりまし
た。というところで終わり、撃たれておらず、それ以降の展開を南吉が創作したのではないかとも言われている
[1]

鈴木三重吉が行った編集は、全国的な物語の普及を目的として、贖罪の位置づけ を強調するとともに、語り手の存在感を薄めた
他、場面の単純化、表現の一般化、地域性の排除など30数ヶ所にのぼり、近代の童話として大胆に手を加えられた結果、普遍的
な共感をもたらす作品として完成した。 その一方で、当時の社会情勢(部落有林の国有化による猟師の廃業など)の光景や口伝
的要素、地域色(方言の標準語化など)、文学的表現が失われたとされている
[1]。例えば、鈴木は「納屋」が方言であるとして、本
文中の「納屋」を「
物置」に修正したが、一箇所「納屋」のままになっている所がある(正確には「納屋」と「物置」は別の物を指すた
め、茂助が母屋の他に納屋と物置という二種類の建物を所有していると解釈できてしまう)。
ごんが目を閉じたままうなずく、有名な
ラストシーンの草稿は「権狐はぐったりなったまま、うれしくなりました。」であり、登場人物の心情に立ち入った編集もされている。

 B初恋の詩か

  南吉17歳、多感な時期に書き上げた作品です。当時の国の情勢、背景を詳しく研究し、封建制度の仕組みや影
響を理解していたのでしょうか。この作品は、様々な解釈がされます。殿様の存在した時代の封建制の社会をイ
メージさせる解釈、いたずらをするとこんなことになるんだよという道徳的な解釈、つぐないをし続けた末の悲
劇、私は、南吉の初恋と考えています。最後のごんの死は、失恋と考えたらどうでしょう。。こんな解釈で授業
をするのも面白いかもしれません。小学校4年生、多感な年齢です。よく教室で『あんた、あの子が好きなんや
りー。』などという会話が聞こえてきます。好き嫌いの気持ちが表面に出てくる時期なのです。その年代の教材
として『ごんぎつね』は、取り上げられています。

 C子どもから大人への入り口

  初恋の話は、さておき、この物語を教材とすることで、次のようなことを指導できるのではないでしょうか。

  *行動の結果を知ることの大事さ

   子どもは、やりっぱなしのことが多いです。何かをしますが、結果、どうなったかということには、あまり意
識がいきません。行動することが重要であり、結果については頓着しません。ごんも同じです。兵十とかかわり
ができるまでは、芋をほりちらかした後、百姓はどんなことをしたのかは、まったく気にしないのです。菜種が
らのほしてあるのに火をつけた後、村人はどうしたのか、結末を見ていません。

  *自己中心的な思い込みからぬけだす

   『すりこみ』という考えがあります。はじめの出会い、思ったことが、長い間考える基本になり、判断の基準に
なるといいます。子どもは、他人の考えを聞き、自分の考えを修正したり深めたりすることができません。また、
判断するための情報を集めることもしりません。だから、自己中心的思い込みにならざるを得ないのです。様々
な学びをして、正しい判断をするようになります。ごんは、ひとりぼっちです。学ぶ機会は、とても少なかった
でしょう。

  *だれかのためにつくす

   ごんは、ひとりぼっちでした。だれかのために何かすることは、今までありません。自分のために、自分だけの
ために、行動してきたのです。しかし、ごんは、変わりました。兵十のために何かしたいと思うようになったの
です。つぐないから同情へ、そして、なくてはならない人へ、ごんは、兵十のために何かしたいという気持ちを
強く持つようになりました。『恋する』とは、その人のためにできることをなんでもしよう、いつも一緒にいた
い、何かしてやりたいと思うことではないのでしょうか。

 D場面5の解釈

  『ごんは、二人の話を聞こうと思って、ついていきました。』、この解釈は、ねんぶつへ行く途中の兵十と加助の
話の続きを聞こうとしていたというのが一般的な解釈です。はたしてそうでしょうか。2つの理由があります。1
つは、帰り道に二人が話の続きをするということは未確定です。2つ目は、神様だということになっても、兵十に
栗を持っていきます。話の続きをを聞きたかったのかも知れませんが、とにかく、兵十の声を聴きたかったのでは
ないか。『影法師をふみふみ行きました』という文は、兵十のそばで声を聴きたい、兵十は何をほしがっているの
か、何を考えているのかを知りたい。兵十のそばにいたいというごんの気持ちの表れだと、私は解釈しています。
だから、神様になっても、いつもの通り、栗を持っていくのです。

 E小学校4年生の教材として

  士農工商の階級制度をイメージさせる解釈があります。できないことではありませんが、小学校4年生では、背景
の理解が困難です。また、楽しい授業にはなりません。授業は、子ども達の状態を考えて行います。教材は、さま
ざまな解釈ができます。大事にしたいのは、現実の学級の状況と変革するために、どんな解釈をするかということ
です。『状況が行動を決定する』、様々な選択肢はあっても、一度にできる行動は1つです。学級の状況をしっか
り見て、授業の方向を決めなければなりません。

 F殺すことはないだろう

  結末は、兵十が鉄砲でごんを打ちます。しかし、ごんは死んだとは書いてありません。もしかすると、この後、ご
んは息を吹き返すかもしれません。ハッピーエンドの物語とも考えられるのです。『わかりあえた二人は、いつま
でもいつまでも一緒に仲良く暮らしましたとさ。』と後話を描きたくなってきますね。また、兵十は、新しい恋人
を見つけるのかもしれません。私は、悲劇として読みたくないと思っています。

(2)発問と教材解釈

 @なんてさびしいきつねなんだ

  『ごんのさびしさを見つけよう。』

  小さな城下町を起点にして、ごんの居場所を説明しています。少しはなれた山の中、ひとりぼっちの小ぎつね、シ
ダのいっぱいしげった森の中、あなをほって住んでいたと書いてあります。村とごんの居場所の間に、中山という
場所があります。中山様が、ごんと村人を隔てていると考えられます。父や母の姿はなく、兄弟(姉妹)も友達も
いません。だから、辺りの村へ出てきていたずらばかりします。社会性は教えられていません。多分、あいさつの
仕方もしらないでしょう。村人と親しくなることは、とても無理だという背景を描き出しています。

 Aぬすっとぎつねじゃないよ

  『ごんは、ぬすっとぎつねではありません。証拠をみつけましょう。』

  臨場感のある見事な文が続きます。やっと穴から出てきたごんが、辺りを注意深く見ながら、川べりを歩きます。
時々使われる現在形の文末が、読み手を現実の場所へ誘います。ごんは、いたずらをしましたが、盗んではいませ
ん。しかし、兵十は、『ぬすっとぎつね』と思ってしまします。最初に出会ったことは、『すりこみ』されます。
考える基準になるのです。最後まで兵十は、ごんを『ぬすっとぎつね』として見てしまうのです。

 B心やさしいごん

  ??『今までのいたずらとちがうことがあります。それは、なにですか。』

  村の葬式は、兵十のおっかあの葬式だと知る。そして、穴の中で一人で考える。家族もなく友達もいないごんには、
いろいろなことを知ることができない。この思い込みは、ごんの状況をよく表している。他とのかかわりがなく、
情報を得ることができないのである。今までのいたずらは、結果をみていません。大声でさけばれ、逃げ出してい
たのです。今回もおなじことですが、兵十の母の葬式に出合い、自分のいたずらと母の死を結びつけてしまったの
です。考えたことは正しいかどうかはわかりませんが、ごんが行動の結末を知り自分のしたことを振り返ったこと
は確かです。

 C兵十に同情するごん

  『ごんと兵十のひとりぼっちは、同じですか?』

  「おれと同じ、ひとりぼっちの兵十か。」と思い込んでしまったごんは、一人で暮らすことの大変さを思います。
特に、食べ物は大事です。兵十の一人ぼっちとごんの一人ぼっちは、全く違います。でも、ごんは行動の顛末を知
るようになっています。今回も、ごんにとっては、いわしを取るのは当然の行動なのです。『おれと同じ』だと思
っていますから、いわしをうちの中へ投げ込んで、『うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをした』と思いま
す。でも、兵十の生活する世界では、かってに物をとることは罪になります。兵十は、身に覚えのないことでひど
い目にあってしまいます。でも、ごんは、まず一ついいことをしたと思います。まず一つですから、今後も食べ物
を持っていくことを続けるのでしょう。次の日、また、行動の顛末を見てしまいます。そして、『かわいそうに兵
十は、いわし屋にぶんなぐられて、あんなきずまでつけられたのか。』と、思います。もう、ごんにとって兵十は、
ただの人ではありません。これまで自分のしたことを反省したことなどなかったのに、今回は行動を反省します。
兵十のことが気になってきたのでしょうか。『かわいそう』という感情は、『つぐない』の気持ちとおなじなので
しょうか。

 D兵十の話を聞いたごん

  『ごんにとって、一番大きく聞こえた会話文は、どれですか。』

  ぶらぶら遊びに出かけたごんは、偶然、兵十と加助に出会います。金色に輝く大きな月と黒く浮かび上がる山影、
道は青黒く曖昧な様子です。誰かの話し声をきいたごんは、道のかたがわに隠れてじっとしています。近づいてく
ると、話し声はよく聞こえます。兵十が、くりや松たけの話を加助にしています。ごんは、二人の後をつけていき
ます。加助が、ひょいと後ろをみると、びくっとするくらい近づいています。なぜ、こんなに危険なことをするの
でしょうか。以前のごんなら、こんな危ないことは、決してしません。二人の話をしっかり聞こうとしたのでしょ
うか、それとも、ただ近づきたかったのでしょうか。ごんにとっては、兵十はよく知っている人物です。

  『状況を考えながら、会話文を声に出して読んでみましょう。』

  この場面の視点は、ごんです。語り手は、限りなくごんに近づき、ごんの耳で会話を聞いています。読み手は、ご
んとともに二人を待ち、ごんとともに二人の後をつけていきます。だんだん近づいてくる声、自分のすぐ前を通り
ながらの会話文、後をつけていくときの会話文、3種類くらいの場面が考えられます。音読で状況を再現したいも
のです。ごんのびくっとする気持ち、二人の後をついていく気持ちは、状況をよむことでわかってくるのではない
でしょうか。

 E兵十のかげぼうしをふみふみついていくごん

  『ごんは、話の続きを聞きたかったのですか。』

  さて、迷います。話しの続きを聞きたかったのでしょうか。しかし、帰り道に話の続きがあるとの保証はありませ
ん。また、兵十のかげぼうしをふみふみ行きます。とても近づいています。帰りは、月が高く上り、来る時よりも
かげぼうしは短いのです。話を聞きたいという気持ちだけなら、もっと距離をとってついていけばよいのではない
か。私は、ごんは兵十の声が聞きたかったのだと思っています。できるだけ兵十の近くに、そばにいたいという強
い気持ちを感じるのです。兵十の声が聞けて、兵十の思いが聞けて、今、何を考えているのか、ほしがっているの
か聞きたかったのではないか。しばらくの間、影法師ふみふみついてくことで、一緒に歩んでいるような気持ちに
なっていたのではないかと思うのです。たまたま、話の続きがあって、神様のしわざになってしまいます。ごんは、
『おれは引き合わないなあ。』と思います。自分だと気付いてくれなかったけど、まあいいや、しばらく一緒に散
歩できたし、今日はいい日だったなんて思っているのではないでしょうか。

 Fやっと、真実が明らかになった

  『ごんと兵十にお手紙を書きましょう。』

  最後の場面は発問しないで、お手紙を書いてもらいます。ごんには、どんなお手紙を書いてくれるのでしょうか。
兵十には、・・・。とても楽しみです。

(3)通して読む

 @思い違いの場面をさがす

  *『うわあ、ぬすっとぎつねめ。』、兵十がごんを見つけた時です。ごんは、うなぎを盗む気はなく、いたずらで
 した。兵十は、盗人ぐつねと思い込みます。

  *兵十の母の葬式を見たごんは、ほらあなで思いを巡らします。事実かどうかは、うたがわしく、ごんの思い込み
 でしょう。

  *『おれと同じ、ひとりぼっちの兵十か。』、一人ぼっちになりましたが、兵十とごんは、ちがいます。

  *『うなぎのつぐないに、まず、1つ、いいことをした』と思いますが、とんでもない思い込みです。

  *『そりゃ、人間じゃない、神様だ。』、加助が言います。とうとう、神様が出てきました。加助は、念仏の間、
 考えていたのでしょう。喜助は、三郎は、太郎は、次郎はと、兵十にくりや松たけを持っていきそうな村人を探
 したのでしょう。でも、そんな余裕のある村人は、いない。どう考えても、いない。だから、神様だと結論付け
 たのである。

 *『また、いたずらをしにきたな。』、兵十は、ごんを見てそう思います。兵十にとってのごんは、ぬすっと狐のま
 まです。兵十を大事な人と思っているごんの気持ちなど知るはずもありません。悲しい思いのすれ違いです。

 A分断された世界

  競争意識に支配され、分断されてしまうと、争いが起こり、自由に話ができません。真実が見えなくなります。仲間
とは名ばかりで、本当の気持ちの交流ができないのです。兵十の住む世界は、どんな世界でしょうか。葬式には村人
みんなで助け合いますが、日常の生活では助け合う余裕はありません。兵十の住む世界は、自由に自分の気持ちを表
現できない世界です。だから、思い違いがおこり、真実が明らかになりません。学級の状態は、どうでしょう。子ど
も達は、自由で開放されていますか。兵十の世界と比べてみてはどうでしょうか。『ごんぎつね』の物語を授業する
ことで、学級が開放され、連帯の意識が生まれることを願います。一人ひとりを大事にする学級でありたいものです。

 

 

  『ごんぎつね』は、とても素晴らしい教材です。授業のたびに解釈が変わります。授業の方法が変わります。発問が
変わります。何回も授業をしてきましたが、満足したことはありません。学級の状況を知り、授業を組み立てます。
ぜひぜひ、よい授業を展開してください。