文学の授業


 

3年生 モチモチの木            斎 藤 隆 介 作  滝 平 二 郎 絵
                                                            
2013年 9月22日 奥村

 

(1)この物語を教材として学べること

 @語り手(話者 話し手)を意識して読むこと

  物語を読むときには、実際に登場する人物とは別に、もう一人重要な人物がいる。語り手である。
語り手を意識して読むかどうかで、読み方が違ってくる。語り手がどこにいて場面を見ているのか、
語り手が何を読者に見せようとしているのかを知ることが、作品から多くのことを感じ取るのに必
要不可欠なことである。それでは、この物語に語り手どこにはいるのでしょうか。語り手は、豆太、
じさまと少し距離を置いて、外の目で見ています。そして、2人の言動を読者に語るように聞かせ
てくれています。

 

 A接続詞の使い方を学ぶ

  「ところが」は、逆接の接続詞である。物語の展開に変化がある時、よく使われる。今までの状況
と大きく違う時に使われる接続詞である。前の2行で大事なことは、「もう五つにもなった」とい
うことである。だから、「せっちん」に行けたっていい。だけど、豆太だけがいけない。「それに」
は、付け足しの接続詞である。前の内容に新しいことを付け足していく。接続詞の使い方を知るこ
とで、物語を予測して読むことができる。

 

 B物語の展開

  物語は、どのように展開しているのかを知る。場面が変わった、もう次の日になった、あれ、場所
がかわってるぞ、など、物語の展開を感じながら読むことを学ばせたい。

物語が大きく展開するのは、次の3つである

   *新しい人物が登場した時 *場所が大きく変わった時 *時が大きく変わった時

 

(2)教材分析と発問

 @おくびょう豆太

  とても臆病な子どもが、登場する。豆太である。これまでの経過を一切排除した描写である。住んで
いる場所、人、せっちんのある所などは、関係ない。とにかく、『全く、豆太ほどおくびょうなやつ
はない。』と断定しています。最後に「それなのに、どうして豆太だけが、こんなにおくびょうなん
だろうかーー 。」と書いてあるのは、他の子どもはおくびょうではなかったぞと言っているようで
す。さて、他の子どもとはだれのことでしょうか。村の子ども達でしょうか。『豆太だけ』が暗示す
るのは、『おとう』、『じさま』もということではないのか。話者は、じさま、おとう、豆太を見て
きて、豆太をおくびょうだと言っているように思う。

 

  発問1 『全く、豆太ほどおくびょうなやつはない。』と言うのは、誰ですか?

      『全く、豆太ほどおくびょうなやつはない。』と言うのは、じさまである。

 

      『誰ですか?』と問われたら、人物を見つけようと探します。

  『じさまである。』と言われたら、検証しようとします。

   読み方が違います。さて、この場面、どちらが求める読み方に近いか。また、何を読もうとし
  ているのかで違ってくるでしょう。

 

  発問2 『話者は、だれと比べておくびょうだと言いましたか?』

  指示1 『だれかと比べているとわかる言葉をさがしましょう。』

 

      「それなのに、どうして豆太だけが、こんなにおくびょうなんだろうかー。」という言葉の中
   には、だれかと比べている言葉があります。「だけ」です。話者は、峠の猟師小屋で暮らす親子
   三代を見ています。じさまやおとうは、5歳になったら一人で夜中にしょんべんをしていたので
   はないか。それに比べて、豆太はと言っているように思えます。もしかするとこの場面の話者は、
   モチモチの木なのかも知れません。

 

  指示2 『接続詞に○をつけなさい。』

      接続詞は、単語、節、文を次から次へとつなぐときに使う言葉です。時には、いくつかの文で
  表された内容も対象になります。

 

      「ところが」、「それに」、「けれど」、「それなのに」は、接続詞です。この授業でどこま
  で教えるか?

      ところが ・・・ 逆説の接続詞 前文と逆のことを書く

      それに  ・・・ 添加の接続し 前の内容に付け足す 

      

 

発問3 『けれどは、どちらの使い方ににていますか。「ところが」、「それに」から選んでくださ
  い。』

     逆説の接続詞である。「それなのに」は、どうでしょうか。接続詞を取り上げて授業するのでは
     なく、物語を読むための手法の1つとして、接続詞に注目して読むことを教える。

 

 Aやい、木ぃ!

  昼間の豆太である。元気いっぱいに動いている。夜と昼では、世界がちがう。周囲が見えないことは、
恐怖なのだ。小屋のすぐ前に立つモチモチの木は、恵みの木である。しかし、夜になると豆太を怖がら
せる。

 B霜月二十日のばん

  モチモチの木に今夜は灯がともる。じさまは、豆太に起きてて見てみろと語りかける。一人の子どもし
か見れない、勇気のある子どもだけ見ることができる。豆太は、はじめからあきらめて寝てしまう。

 

    発問4 『一番臆病だと思うところはどこですか?』

       *夜になると豆太はもうだめなんだ。

       *そっちを見ただけで、もう、しょんべんなんか出なくなっちまう。

       *五つになって「シー」なんて、みっともないやなぁ。

       *豆太は、ちっちゃい声で、なきそうに言った。

       *とんでもねえ話だ。ぶるぶるだ。

       *夜なんて考えただけでも、おしっこもらしちまいそうだー。

       *はじめっからあきらめて、ふとんにもぐりこむと

       *よいの口からねてしまった。

      

 C豆太は見た

  夜中に、じさまのうなり声で目を覚ます豆太。じさまの様子を見て、豆太は、医者様を呼びに行く。泣き
ながら夜の坂道を駆け下る豆太。痛くて、寒くて、こわかった。でも、じさまの死んじまうほうがもっと
こわい。年よりじさまの医者様におぶわれた豆太は、足でどんどんと腰をけって急がせる。大好きなじさ
まを助けるために夜の坂道を駆け下った豆太は、モチモチ木に灯がついたのを見た。

     発問5 『豆太が、一番こわかったのは、いつですか?』

        A 峠の小屋

        B 下りの坂道

        C 上りの坂道

 

発問6 『豆太の見たふしぎなものとは?2つさがしましょう。』

       1つは、月が出ているのにふりはじめた雪。

もう1つは、「灯がついたモチモチの木」。

 

 D弱虫でもやさしけりゃ

  次の朝、じさまは豆太にお前は勇気ある子どもだったんだよと話しかける。お前はや

らなければならないことをやり遂げた。自分を弱虫だなんて思うなと諭す。でも、豆

太は、相変わらずしょんべんにじさまを起こした。

発問7 『豆太は山の神様の祭りを見た。○か×か?』

           *じさまは、おまえは、山の神様の祭りを見たんだと豆太に言う。

           *豆太は、「モチモチの木に灯がついている。」と言う。

           *霜月二十日のばんに、じさまは言う。「霜月二十日のうしみつにゃぁ、モチモチの木に
   灯がともる。・・・・それは、一人の子どもしか、見ることは できねえ。それも、勇気
   のある子どもだけだ。」、豆太は、一人で見たか

         *モチモチの木に灯がついたのを見たが、医者様におぶわれていた。

         *豆太はふもとの医者様を呼びに行ったが、

         *霜月二十日のばんでじさまは、それは一人の子どもしか、見えねえ。しかも勇気ある子
   どもだけだと言っている。

         *灯のついたモチモチの木は見たが、山の神様の祭りではなかった。だから、まだ本当に
   勇気ある子どもになっていない。

 

(3)考察

  @かなり難解な物語だ

   これまで何回も授業してきたが、今回、この物語の深さに改めて気づいた。「豆太は、

勇気ある子どもになったのか。」、この問いを最後に持ってきた。物語全体を読み返

し、様々な話し合いができたらいいと考えている。

  A文章の書き方も難解だ

   最初の形式段落をうけた「ところが」という逆説の接続詞は、2つある文の後の文を受けている。最初の
1行を受けたのなら、「全く、豆太ほどおくびょうなやつはない。」、「だから」、「豆太はせっちんは表
にあるし、」とつながる。

  B登場人物の気持ちを考えるよりも、状況を読むことを大事にしてきた。「医者様を呼びに坂道を走っている
豆太は、どんな気持ちですか?」とは、問いません。そうではなく、豆太の周囲の状況を問う。登場人物の
今おかれている状況が正しく読めたなら、読み手は、その人物の気持ちを感じ取れると思うからです。言葉
にできるかどうかは、わかりません。言葉にできす涙を流すだけの子どももいるかもしれません。『気持で
はなく、状況を問え。』、こんな気持ちで授業をしてきました。この物語は、改めて手ごたえのある教材だ
と思いました。