自費出版したアートトラック写真集を販売しております。
 書店では取り扱っていません。
 通信販売、またはイベント会場での販売のみとなっておりますのでご了承ください。
 
 



 

 
 

 

  アートトラックの珍しい写真あります。

  A4 カラー  80ページ  75カット

  ¥1,500 + 送料

 
 
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 

 
 

 

  懲りずにまた創りました。

  A4 カラー  71ページ 

  ¥1,500 + 送料

 
  
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 
 

 
 

 

  只今、創造中。  少しお時間ください。

  A4 カラー  
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
  
 







 
 





 






















































東日本大震災を忘れないために・・・

2012.06.04〜06.06

発生後1年と3ヶ月です。
 

撮影者:SEKI



 
 
ここに展示してありますのは東日本大震災被災地の2012年6月現在の様子です。

 

 
 
 

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アートトラック
写真集
The REAL (The REAL)
【掲載内容】
桃丸 藤正一座
夢幻丸 任友丸
零音丸 FumioSpecial フミオスペシャル
コンボイ 桜井市議
星光丸 褌ジョニー 関西桃丸隊 魁一家
優穂丸 神戸国際ギャング団
恋姫丸 はまなす会
美華丸 鯱風船団
愛狂丸 中京彪真一族
華丸ボーイ 中京彪真一族
ホワイトエンペラー
舞星丸
徳幸丸 関西学園
魁観光 魁一家
美月丸 兄弟丸
三代目絃 黒薔薇運輸
白龍 フミオスペシャル
龍王丸 華翔会
臣龍丸 フミオスペシャル
男義丸 フミオスペシャル
隼丸 蛍火船団
壱番機 長谷川興業
舞龍丸 藤正一座
翔星丸 華翔会
翔龍丸 華翔会
大都丸 フミオスペシャル
十一番星
鬼丸 鬼っこクラブ
白鳳丸 関西畑

The REALU (The REAL2)
魁観光 魁一家
恋姫丸 はまなす会
徳幸丸 関西学園
フミオスペシャル 菊水会
らん丸 岡本商事 哥麿会
夢幻丸 
宝来丸 藤正一座
翔星丸 華翔会
三代目美麗嬢 関東み組
裕季丸荷役 鬼っこクラブ
鬼丸 鬼っこクラブ
美月丸 兄弟丸
純豊丸 華翔会
龍王丸 華翔会
翔龍丸 華翔会
舞星丸
寛姫丸 真織丸
亀太郎 亀太郎グループ
櫻観光
知姫丸 のんべえ学園
樹庭夢
健太丸 虎鬼船団
桃丸 藤正一座
霧姫 霧姫一座
友都丸 霧姫一座
愛狂丸 中京彪真一族
ホワイトエンペラー
青い貴婦人
大都丸 フミオスペシャル
橋本工芸
美華丸 鯱風船団
最上丸 輝心会
恋姫丸 はまなす会
ペロ丸
マニワリフト
長谷川興業
ロマン渚 渚船団
薩南 とのす倶楽部
華丸ボーイ 中京彪真一族
 
 

 
 
 
 
デコトラ撮影始めて20ウン年。

随分たくさんのトラックを撮りました。
最初に撮影会に参加したのは1987年に鈴鹿川河川敷で行われた勢州船団の撮影会。(まだこのクラブあるんですかね?)
右も左も分らん状態で父親のコダック製バカチョンカメラで撮影したのを覚えています。
フィルムサイズが特殊なんです。
35mm判の半分ぐらいしかないから引き伸ばしに耐えられない。
まあピントもほぼピンホールのようなものなのでL判ぐらいが限界です。

なんで撮影会に行くことになったかというと”たまたま”その数ヶ月前にトラック野郎(何作かは忘れました)の映画を深夜にやっていて、それを見た一部の”ヤンキー”と呼ばれる人種の人たちの間でデコトラ熱が一気に上昇。
その中の一人が雑誌カミオンを買ってきた(親に買って貰った?)のです。
で・・・奇跡的に買ってきた号に鈴鹿川河川敷のイベント案内が載っており「ホンモノが見れる」というある意味勘違いから親に連れて行ってもらうことになるのでした。

実際のところ映画は8年前に打ち切り、映画に出ていた状態の一番星号は存在しなかったのです。
そんなことは知る由も無し。

生まれて初めての撮影会。
眼下に広がる光景に戦慄に近い興奮をしたことを覚えています。

鈴鹿側河川敷会場は文字通り河川敷・・・・ということは河川と反対側に堤防があるのです。
全国的にもよくあるのですがこの堤防の上には立派な道路が通っていてそこを下りると撮影会場という感じでした。

では堤防道路と直行する(堤防道路に突き当たる)道路があると想像してください。
堤防道路は河川敷はもちろん内陸部に比べても高くなっているので堤防道路と直行する道路を走ると堤防の向こうは見えません。
そこを通って撮影会場へ向かいました。
 

初めて見た光景。
堤防道路にたどり着いた時眼下に広がったのは300台近いトラック野郎でした。
目の前全てがトラック。

キンギラ?

大興奮の状態で会場内を散策するとあれもこれもカミオンに載っているトラックばかり。

弘宝丸
重香丸
弁天丸
千鶴丸
竹千代
駿河の哥麿
三沢丸
鬼若丸
北龍丸
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・

まあ写真の写の字も知らん時ですからヘッタクソですよ。
信じられないぐらい。
手ブレ当たり前。
指とかいっぱい写っていたな?。
とにかく分け分らないまま1日が終わり夕方には帰ったのでした。
塾があったからね。
だからナイトシーンを見るのは随分後になってから。
 

名刺を集めるもの流行ったなぁ。
信じられないけど当時は紙面上の売ります買いますのコーナーで堂々と「写真」やら「名刺」が売買されていた。
人から頂いた「名刺」を売っちゃうんだよ。
今では考えられません。
 

2回目の撮影会参加は2年後の89年のこと。
場所は四日市競輪の駐車場。

この年トンでもないトラックが出てきたんだな。
「二代目日光丸」
 

車両特有の巨大なキャンバスに描かれた3面ペイント。
そして全てワンオフ物のパーツ類。
いきなりフルアートで登場し彗星のように消えていった1台。
とにかくインパクトは強かったですよ。
 

初代の日光丸もあった。
舞姫丸って名前に変わっていたな。
デッキも外してあった。
その隣には同じくデッキの無い夢千代丸。

この時も夕方に切り上げ。
やはり塾です。
 
 

で、転機が訪れたのは3回目
1990年10月7日
場所は松阪市櫛田側河川敷
 

二代目白龍王

当時としては非常に完成度が高いダンプでした。
ここまで飾っているトラックは少ない時代でしたから。
絵も虎とか龍とか如何にも?な感じですし、ラッセル戻しの下部に埋め込まれたフォグとか、イメージカラーが統一されていたり・・・・。
そのうえナイトシーンまで見ちゃったもんだからさあ大変!

覚えているのは白龍王の写真がプリントされてきた翌日に現在の師匠にあたる人のところへ相談に行ったということ。
「オレが見たのはこんな写真のトラックじゃない」って。
要は上手くなるにはどうしたらいいか相談に行った。

露出、手ブレ、焦点距離・・・・何も知りませんでした。

持って行ったのは親から借りたFUJIの一眼レフカメラ。
恥ずかしいことにフィルムの入れ方、出し方分らんかった。
 
 

二代目白龍王はボコボコの状態でもいまだに走っているのが嬉しいような悲しいような複雑な気持ちです。
 
 
 
 
 

当時の浪花会は凄かった。

翌年の5月に四日市競輪で開催された撮影会にはそりゃあもう沢山のトラックが来た。
関西はもとより関東からも沢山。

あと、この年は一番星号が復活。
 

もう使えませんよね四日市競輪。
 
 
 
 
 

ズームレンズってナニ?

ずっと親父のカメラを借りていたからカメラってそれしか知らんかった。
FUJIの一眼レフに50mm単焦点がついていた。

でも世の中色々ある。

自分の伯父さんにあたる人が亡くなって遺品に多数の写真機材が残された。

実は伯父さんの父親(・・・・祖父です)も写真が趣味だったらしい。
物心つく頃にはいなかった。

伯父さんが残した機材は

 Nikon F2
 Nikon FE
 Ai 35?70mm
 Ai 35mm
 Tokina 80?200mm
 テレコン2×
 三脚
  ・
  ・
  ・

もう誰も使わないっていう事で貸してもらった。
借りたのはFEとレンズ3本、テレコン、三脚。
永久貸しって言うヤツ。
誰か使う人が出てきたら返すっていう約束で今でも借りっぱなしです。

本当は防湿庫が窮屈になっているので返したいのですが、20年以上借りっぱなしで邪魔になったから返す?
そんな無責任なことは言えないので今でも防湿庫のコヤシ。

使えないことはないのですが現在のデジタル一眼レフに旧タイプのAiレンズを装着してもまともに撮影できないのです。
露出もピントもマニュアル。
露出計がいるよ!

伯父さんの保管方法も劣悪な状況だったのでよく壊れなかったなと感心してしまうのです。
ただAi35mmはカビカビだったので結局使わなかったな。

一番使ったレンズはAi35?70mm。
ズームレンズって便利だよな。
ズームリング回したら広角にも望遠にもなる。
たかだか35mm。
でも50mmしか知らなかった自分には驚愕の領域でした。
 
 

名機FE。

FEは優れたマニュアル一眼レフカメラです。
最小限のコンパクトなボディ。
最小限の一眼レフカメラとしての機能。
フルマニュアルで露出計内蔵。

一眼レフカメラ入門には最適です。
 

もしマニュアルカメラからではなくAFカメラから写真を始めていたら今まで続かなかったと思います。
オートで撮れる画像ほどつまらないものはあちませんから。

失敗9割、成功9分、大成功1分だから写真は面白い!
この大成功1分を見たいがために写真を撮っているようなもの。

でもオートなカメラだと失敗1割、成功9割の比率・・・・。
そのうち失敗1割も気が付かなくなるんです。
 

で・・・FEの話に戻りますがなにせマニュアルなカメラですので失敗は多いです。
でも写真の基本は学べた。
あーだこーだ言っても撮らんと話にならんよ。
撮って失敗して、失敗の内容が分れば改善が出来る。

MFってのも良いです。
ファインダーのスプリットプリズム見ながら合わすんです。
横縞に弱いので縦にして合せて横にするとか、人物ならピントを合せたい位置にひとさし指を立ててもらうとか・・・・小技も覚えられる。
カメラのAF機能がどんなに進んでも静物を撮るならこういった小技、基本は大事です。
 

で、そのFEを持ち込んだのが田村神社の駐車場で開催された愛虎会の撮影会。
台風が来る直前ということで3時間ぐらいしか居られなかったのですがズームレンズの凄さを実感したのでした。

ただワイド側ばかりで撮っていたので35mmの単レンズでも良かったのですね。
ズームするのが面白くて持っていました。

早く帰ったのでナイトシーンは無し。
どちらにしろその辺の技術はまだ無いので無駄でしたけどね。
 
 
 

写真部。

部長に騙されて入りました。

「写真部に入れば写真プリントし放題!」
その甘?い言葉に釣られた私はフラフラと暗室に付いていったのでした。

入部届け提出してから気が付いた。

「白黒やん!!!」

今にして思えば当時カラーをプリントするような機械を一介の写真部が持っているはずがありません。
常識。
どれだけ予算が有っても買える物じゃ有りませんよ。
 

幸運なことにその写真部はワリとまともだった。

マトモに撮影し、
マトモに現像し、
マトモにプリントしていた。

撮影旅行なんかも行っていたし、美術館なんかも行った。

文化部の場合、普段から活動していない部って多いですね。
ただ日常的に活動していたこの部で活動できたことは幸運だったのかもしれない。

部長はマルオ君と呼ばれていた。
元ネタはズバリ某アニメ。
ズバリ!そうでしょう!・・・・・言わないか?
学級委員になるために賄賂を贈ったり・・・・それは無かったか・・・・・。

まあなぜマルオ君なのか?
たぶんアナタも会えば分ります。
そう彼こそマルオ君なのです。

あとその時、副顧問やっていたのが師匠。

天文超オタク。
写真オタク。
生物オタク。

ちょっと違う世界に住んでいる如何にも学者さ?んな方です。
いわゆる研究者ですね。

いまだにアナログカメラで撮影しているそうでこの間初めてデジタル一眼レフのパンフレットを貰ってきたそうです。
PCで写真やりとりするにはデジタルのほうが良いので・・・。
星が撮りたいとのことですが、その分野においてはアナログカメラに比べると性能が劣るので心配?
そんなこんなで自宅から星を撮影したのですが一発で方角を当てましたから。

科学雑誌や図鑑で見たことあります?
長時間露出の星。
焦点距離にもよりますが1分程度で流れ出します。
ちなみにこのとき撮影したのは5分。
ホットスポットの出現状況を見たかったのですがその点は心配なかったです。

ただ棒状になった光の軌跡から方角や星の名前を当てるのは驚異的。
目隠しで走行音だけ聞いてトラックのニックを当てるアナタぐらい凄いです。
 
 
 

さて話は脱線しましたがアートトラック撮影におけるスローシャッターの基本を得たのは写真部に所属してから2年後のこと。
金も車も無い状況で行くことができる撮影会は知れている。
年に2回ぐらい?
フィルムカメラですので現像&プリントで1本2000円強。
撮ったものをその場で見ることができないので撮影情報を記録し反省は現像の後という状況。

その時に得た情報が今でも生きています。
苦労して得たものは離れない。
ピントの合せ方も、露出情報も、GNも失敗の繰り返しで得たものなので離れません。

今カメラ任せで撮影している方、是非マニュアルで撮影することをお薦めします。
 
 
 

アートトラックのナイトシーンが”撮れた”から”撮った”に変われば後はなんとでもなります。
相手は光の塊ですから押したり、引いたり、切ったり、ボカしたり自由自在。
感性の問題。

どうすれば上手く写せるか?
失敗を失敗として認識することです。
あと本屋で写真雑誌の立ち読み。
「買え!」と怒られそうですがビンボー人なので無理。
立ち読みは撮影の基本や撮影データが載っていたりするものが良いです。

読んで実践。
失敗もあり成功もある。

それでやっとアマチュア写真家の仲間入り。
 
 

まあでも撮れたのが嬉しくってね。
年賀状にしてしまいました。
被写体は2代目隼人丸。
ちょうど3代目のバンパーがついた頃でしたね。
 
 
 
 

1台目は失敗

撮影技術の向上に伴って今の機材じゃ物足りなくなるわけです。
ちょこちょこバイトしたりして貯めた金が有りましたので自分の機材を買うことにしました。

色々な写真雑誌を見ながら必要な情報を整理しいくつかに絞り込んだのです。

要件
 広角側は28mmまで欲しい。
 マニュアル撮影ができる。
 

今となっては忘れてしまっているのですが当時はもっと色々注文があったはずです。

で、選んだのがミノルタのα7(初代の方)です。
レビューに色々書いてあって、それを読んで色々検討し、最終的にどうしてこのカメラになったのかは覚えていません。
ミノルタなので当然レンズの互換性もなし。
オマケにホットシューの形状も違うのでストロボも使えません。

今のようにリチウムイオンバッテリーじゃありませんのでバッテリー使い捨て。
またこのバッテリーが高いんだ。
それに内蔵ストロボ焚くとすぐに無くなる。

使って大誤算なカメラ、
それがα7。

色ノリもニコンより派手で昼間は良いんですがナイトシーンにはちょっとキツイ。
ということで2年間、7回の撮影にしか使いませんでした。
一番失敗した機材だな。
誰かほしいシトおらん?

これでも買うときはかなり吟味しましたよ。
高いものですから。
借り物のカメラで撮りまくって数年。
「いよいよ自分のカメラを持つときがきました!」って感じでひとりで興奮。

図書館にアサヒカメラが置いてあってカメラレビューが載っている。
知っている人は知っていると思うがカメラ雑誌の中ではかなり辛口で有名。
α7も結構辛口に書かれていた。

・ゼロタイムオート
  いつも動いていて煩わしい。
  電池のムダ。

・他に類のないグリップ
  握りにくい。
  →ミノルタの社内では好評だったとのこと。(ホンマかいな?)

・なにせMFが電動
  AF機能を前に押し出した機械だったのであんまり考えていなかったみたい。
  そうですね分かりやすく言えば車パワーウインドウを操作してミリ単位で開口寸法を合わすようなもの?
 

先行機のα8700が評判良かったのでみんな期待したみたいよ。
ところでα8700のミール搭載モデル持っている人居ますかね?
ボディが真っ白なやつ。
一度見てみたい。

あとα707siの輪島塗仕様。
まさか撮影用に買う人はおらんと思う。
肌に合わない人はかぶれちゃうよ。
ミノルタさんのチャレンジ精神には完敗です。
 

さて自身のカメラの話に戻りますが結局のところそれまで使っていたFEの世話になりっぱなし。
ナイトを含めマニュアルでピントを合わすことが多いのでα7はお蔵入りなのです。

どういうわけかバッテリーグリップのあるカメラにあこがれていてMD?12というモータードライブを購入しました。
単三乾電池でガシャガシャ動くので結構うるさいです。
後付ですからこんなものですか?
今なら邪魔だからいらん!

撮影会で歩き回るには軽装が一番です。

それ以上に欲しかったのが超広角レンズ。
この時代の超広角とは18mm前後のこと。
今のように12mmなんて無かったよ。
18mmでも十分。
とにかく撮影会で人の前に出られるレンズが欲しかった。

超広角レンズ。
当時はまだまだ高かったのです。
メーカー純正の超広角は単レンズばかりで10マン超えで、レンズメーカーもあまり手を出していない世界だった。
なにせ需要が極端に少ない。
出しても売れるという保証は無かった。

でも出会いというものは突然現れるものです。
最近は行っていないから良く分からないけど大須付近はマニアックな店が多かった。
上前津で降りてPCショップ回り?の、アメ横ハシゴし?の栄まで歩くことが多かった。

よく行った店。
 アメ横の中のカメラ屋
 コメ表
 カメラのアマノ (アメ横前)
 ヒダカヤ (線香の香りがするカメラ屋)
 アサヒドーカメラ (反則すれすれの販売形態)
 トップカメラ (中古がわりとあった)

トップカメラは名古屋でも品揃えが多いほうでASA8のコピーフィルムやコッキンフィルターなんかも置いてある。
ずいぶん売り上げに貢献しましたけどたまたま寄った日が発売日だったシグマの18?35mm
5マン近くしましたけどたまたま手元にバイト代がある。
これは「買え」という天からの指令なのか・・・・。
ただ、AFモデルが選考していてMFモデルは少し待たなくてはいけない。

どーする?オレ。

AFモデルとMFモデルの違いを説明します。
今のようにAFカメラ中心の販売ではなかったため当時はAF派とMF派に分かれていたのです。
AFレンズはAFモーターでピントをまわすのでピントリングが極端に軽い。
逆にMFレンズは手動での微妙なニュアンスを伝えられるようにわざとトルクを付けてある。

今のようにレンズ側の操作でトルクを付ける様な仕組みもほとんどなかったし、普及向けレンズにそういった高くなる要素を付帯することもなかった。
それよりは完全にボディに合ったレンズを買ってもらおうという狙いである。
 

ご存知の方も居ると思うがニコンFEはMFカメラです。
ということは新発売のこのレンズを使うとピントが軽すぎて使いにくい。

だから考えたんです。
その場で数時間・・・・。

で、結論は「このレンズを買う」+「AFカメラも購入する」というものでした。

今すぐにではありませんが1年ぐらいを目処にAFカメラを購入。
αにはこりごりなのでニコンのAFカメラです。

目標はF4シリーズ。
当時のニコンのフラッグシップ機です。

FEからF4ってかなり飛んでいますが目標は大きいほうがいいですから。
あとは中古で良い玉が出てくるのを待つだけです。
プロ仕様なので使い倒したボディは良く出回るのですが後から不具合が出そうで怖い。

狙いは・・・
 隠居生活で趣味で写真でも始めようとカメラ屋に進められるままにF4を購入した年寄り。
 しかしその大きさと重さに使いこなせず泣く泣く手放したのでした。

っていうのが理想。

で、超広角レンズを購入した8ヵ月後。
たまたまトップカメラの中古コーナーにF4Eの程度のいいのが2台も入っている。
2台ともあまり使い込んでいなかった。

14万は予算オーバー。
中古は運なのでアタリハズレはどうしようもない。
ただ目の前にあるのは確実にアタリのはず。

実物を目の前にして感覚がおかしくなっていたのでしょう。
少しばかり生活費に手を出してF4Eを持って帰ったのでした。
 

その後は中古で買ったF4Eが大活躍。
とにかくタフですから。
シャッター音最高!
この後も色々なカメラを使うことになりますけどF4を超えるシャッター音は未だに無し!

あと単三乾電池が使えますから。
高鍬さんも使っていましたし・・・・。
 

ただこの頃から困った現象が
「すいませーん。 カミオンさんですか?」
いえ違います・・・・・。
 

ここでF4Eの話をしましょう。
言わずと知れたNikonのフラッグシップ機なのですが最大の特徴はAFとMFの中間的な存在。
AFカメラでありながら上部液晶もダイヤルもナシで昔ながらのメカニカルなスイッチ類が並ぶ。
説明書を読まなくてもある程度使えそうなところが良い。

オプションでMF?23を装着するとコマ間にデータを焼き込むことができる。
ノート片手に「露出が?」とかやらなくて済むのは当時としては画期的。

中古で買って10年以上使って、モータードライブの故障が1回だけ。
頑丈です。

露出性能やAF性能は最近のカメラと比べると随分劣りますが、そんなものを微塵も感じさせないタフさを持ったカメラがF4であると思う。
まあF4使って他の一眼レフカメラが軽く感じますね。
丈夫であると同時に重くて幅を取るカメラなんですよ。
 

F4と同じく写真を大きく変えたボディといえばF5。
露出の性能が大幅に上がりもはやバカチョンカメラの領域。
ヘタクソでも上手く撮れると錯覚させてしまう。
シャッター押せば綺麗に写るんですから。
F4はある程度調整が必要だった。

ただナイトシーンになるとF5の露出性能でもまだ追いつかない。
全く別の世界ですから。

あと多くなりすぎた露出操作をダイヤルで補うようになったのも×
このあたりは他社に追いついたという感じだがダイヤル操作に慣れるまで少し惑った。
 

さてF4を手に入れた頃のイベントに来るトラックといえばこのあたりでは天聖丸?、美粧丸、美影、龍桜丸、隼人丸、夢千代丸、舞姫丸は3代目になっていた。
あと北陸からは2代目北誠丸、宝来丸、魔界令嬢。
あと哥麿会の撮影会が近場であって関東方面のトラックを沢山見られたのは良かったな。
やっぱり規模が違うし台数も違う。
泥沼のような会場でナイトも見れず大変だったけど本当に良かった。

F5を手に入れた当時はmidnightに一優石材、大地丸なんかが出てきた。
これも中古。
この頃からネットで機材の売買が出来るようになったので入れ替えが頻繁になった。
特に2004年にNikonがデジタル一眼レフD70を購入してからそれは加速する。

フィルムカメラと違ってデジタル一眼レフは光学センサーの性能がボディの性能となる。
だから各メーカーが新しい機種を発表する度に有効画素数は増加し今までフィルムカメラでは考えられなかった機能が追加される。
ボディ内手ブレ補正やDライティング、ミラーレスなんていうのも出てきた。
これはデジタルカメラじゃないとできないこと。

だから新しい機種が出ると旧機種は捨て値に急落する。
フィルムカメラの時代とは比べ物にならないほどの下落率だ。
こういったことにより売り時買い時が重要になった。
 
 

RAWの可能性

今になると非常にもったいない話なのですがD70購入当時はRAWを使っていなかった。

理由のひとつは所有していたメディアの容量が256MBと小さく、沢山の画像を保存できなかった。
当時は256MBでも結構しましたしね。

もうひとつはまだまだ撮影の中心がフィルムカメラにあったということ。
その大きな理由はD70の持つ光学センサーのサイズ。
APS?Cという特殊なサイズであったため焦点距離は1.5倍、円周魚眼は上下を切り取った形状となる。
SIGMAの12mmや8mm円周魚眼が使い物にならない。

これらの問題は時代と共に解決していくことになる。
メディアは大容量のものが安くなっていくし、光学センサーサイズの問題はフルサイズ機の出現やAPS?C用の超広角レンズ等の出現で解決していく。

ただ実際にフィルムカメラから卒業した時代とRAWを使い出した時期はズレる。
 
 

 【写真集を作る】

 それは思いつきで始まった。
 トラックの写真集を作って大儲けしてウハウハ(オヤジ・・・)

 今考えるとアホとしか思えない。
 自分で自分を褒めたいクルクルパーです。
 でもやってよかった。
 
 
 本当に何も考えていなかったのでたくさん勉強させてもらった。

 まずは被写体の掲載許可。
 それが必要なことぐらい分かっていた。
 あとでイロイロ言われると困るからね。 

 正直言ってほとんど知り合いが居なかったから最初から躓いた。

 当時知っていたのは関西の十数人だけ。
 まあ目立つことを避けていたので当然のことでしょう。

 hさんの事があったのでこの業界で目立つことの怖さがあった。
 本当にポッと出てきてすぐに有名になると誹謗中傷が酷い。
 ネットが怖いと感じたのはこのときだ。
 
 ちなみにhさんは自分の名付け親。
 まあたまたまなのでしょうけど解説当時はHNすら決めていなかった。
 ただす鈴鹿郡関町に住んでいたからアートトラックと関をくっつけて”アートトラック関”
 そのまんまですがローマ字表記にしたのは某掲示板に書き込みをしたときに別人と間違われたため。

 その掲示板の常連さんに 関 という名前の人が居たよう。
 だから今はSEKI。
 
 
 まあとにかくネットは可能性を広げてくれるが怖い。   

 だからあえて知り合いを増やすこともしなかった。
 
 

 でも運がいいのか作ると決めるとふわっと顔が広がった。
 転換点は07?08のカウントダウンイベント。

 華翔会の2人と知り合った。
 まあ例によってカミオンと間違えていたようだったので紹介がてら過去に撮った大輝丸のズーミング写真を見せた。
 すごい食いつき。

 今なら普通だと思うかも知れない。
 当時カミオンやトラックキングにはそんな写真が載ることはなかった。
 需要はないと思うので今も似たようなものですよね。
 

 初めて見る写真。
 次の一言は予想どおり「俺のもこうやって撮って!」

 はい、まんまと誘いにのってくれちゃった感じです。
 すでにデジタル一眼レフカメラを導入していたので話は早かった。

 もうそれはトルトナーレ監督の「ニューシネマパラダイス」の世界ですよ。
 「アブラカタブラ?」って感じで撮影すると不思議な写真が液晶画面に写し出された。

 そのとき撮ったものが写真集の56?57ページに掲載されている。
 衝撃的だったでしょうね。

 
 せっかくなので撮ったものはあげる。
 これアマチュア写真家の悲しい性。
 
 で、その年の3月に魁一家のイベントがあったので過去に撮った数枚と一緒にプリントして進呈。
 喜んでもらったな?。
 よく覚えているよ。

 そして歴史が動いた。
 その様子をたまたま横で見ていた藤正一座の方が「SEKIさんでえすか?」って・・・・。
 HPを知っていたよう。

 また知り合いが増えた。
 

 翌月のイベントでは別のメンバーの方を紹介してもらい・・・そこから知り合いが増える。
 当時4tに乗り換えたばかりの足場屋さん。
 褌のあの方。
 元浪花のあの方。
 子供用車にステンを貼るあの方。
 逆ラッセルの2代目。
 地面スリスリする車屋さん。
 魁の会長さん。
 ハイエースを自重で3インチローダウンさせるあの方。
  ・
  ・
  ・
 
 

 自分から声をかけた人も居ましたよ。
 山梨のトレーラーにお乗りのあの方、アートフレンドに1年半トラックを預けていたあの方とか・・・・2ページ目で見開きのあの方とか・・・・著作権者の方。

 ちなみに裏表紙のあの方はすでに知っていたので良かった。
 今何してるんかな?

 最後の最後で知り合ったのが愛知の方。
 今は岐阜かな?

 そこつながりで地元の知り合いが増えた。
 灯台下暗し。

 残念ながらそちら関係にはあまりページを提供できなかったが貴重なマニアック成分を補給してもらったと思う。
 
 

 オーナーの許可を得る行脚をしている最中に大変なことに気づかされる。
 著作権というもの。
 具体的には絵。
 ペイントというもの。

 今では当たり前に注意していることなのだが、そういったものが描かれていることはごく普通だったので当時は気にしていなかった。

 特に映画、アニメは駄目ね。
 有名な画家の絵を写したものもダメ。
 あと著作で財を成したあの方の絵もダメ。

 ちゃんと商標登録されているので頭のいい人が周りにいるのだろう。
 

 調べていくとアートトラックには色々な権利が存在する。

 著作権(ペイントのアニメとか・・・・特にディズニー)
 肖像権(有名人の絵はダメね)
 商標権、意匠権、財産権・・・・。
 

 権利ばっかやんけ!
 

 そう、世の中は権利でできているのです。
 ただこの権利は主張しないといけない。
 
 逆に言うと主張されないようなものを撮ればいい。

 まあとにかく消しましたよ、色々。
 あれもダメ、これもダメって・・・・。
 本当にダメが多すぎて困った。
 正直言って思ったとおりの写真集にならない。

 しかし一つの挑戦ということで考えると悪くはない。
 高い買い物だ良いものは作りたいし後悔はしたくない。
 
 

 使う写真が決まってきたところで写真集の詳細を決めなければならない。
 全部の載せたいものばかり。
 普通に1ページ1カットにしたら300ページ近くになった。
 これじゃ話にならない。

 見ていても途中で気持ち悪くなるよ。

 その前に300ページもあるものが製本できるか分からない。
 辞書ですよ、辞書。
 重くて大変だろうな。

 目標は80ページぐらい?

 
 次に大きさ。
 アートトラック雑誌の縦に合わせた。
 そうすると一般的な紙のサイズでA4となる。
 奥行きは合いませんけどね。

 
 まあこんな素人状態です。
 写真集作成は何度も足を運ぶことを考えたので近い場所を探した。
 ネット環境があればなお良い。

 というか日常的に通えないのでネット環境は必須。
 近県および県内で作ってくれそうなところを検索した。

 一応「写真集」も作ります的な所までメールを入れた。
 20箇所ぐらい送って戻ってきたのは10箇所程度。

 ページ数と大きさを連絡して見積もり。
 自分ところで印刷機を回していないようなところは除外した。
 間にたくさん人が入ると色々面倒ですからね。
 
 結局、津市の伊藤印刷にたどり着いた。
 見積もりはちょっと高めだったが会社から近くて良い。
 仕事中に抜け出して構成の打ち合わせに行ける。
 

 写真の配置やページ割を決めたものを構成と呼ぶ。
 構成は結構根気の要る作業だ。

 まず300カット近くある写真を100カットまで減らした。
 似たものも沢山あったのですぐに減らせることができた。

 
 構成だが専用のソフトはないのでエクセルにぺたぺた貼った。
 A3横の紙を黒線で描き中心に縦線。
 これでA4見開き状態になる。

 あとは画像アプリケーションからコピペするだけ。
 最初、原寸で貼った。
 そしたらエクセルがフリーズした。

 BMPに変換するから異常に容量が大きくなるようだ。
 だから感じが分かる程度まで縮小した。
 これで固まることはない。

 できたものをUSBメモリーキーで印刷屋に持ち込む。
 それと会社でこっそり印刷したものを一緒に渡して説明する。
 

 伊藤印刷側も写真集ばかり作っているわけではない。
 色々な印刷物に対応しているのでそのあたりは柔軟にやってくれた。
 

 ただこちらも印刷屋も一番困ったのは色目。

 自分たちが見ているPCのディスプレイは通常RGBと呼ばれる3色で映し出されている。
 赤と緑と青ね。

 ところが印刷物はCMYK
 シアン、マゼンダ、イエロー、ブラック。

 同じデータをそのまま印刷すると全く別物になる。
 高級な画像アプリケーションだとそのへんを補正してくれるみたいだがあいにく持ち合わせていない。
 これでも擬似的なものなので完全ではないそうだ。

 多分、どこの印刷屋も同じことを言うのだろうけど「印刷してみなければ分からない」状態。
 後はカンと経験。

 もうその辺は任せるしかない。
 色目というものには非常にこだわっていたので何とか近づけたかった。
 イメージを左右しますからね。

 
 持込用のデータは全てtifにした。
 劣化しないから良いそうだ。
 jpgだと保存のたびに壊れていく。
 
 tifはCMYKカラーで保存ができる。
 ただこれは素人には手が出ない。
 保存した瞬間後悔するほど色が変わる。
 やはりRGBで保存してあとはプロに任せるのが無難。

 tifは容量が大きくなる。
 1200万画素のデータで30MBぐらい。

 80枚保存すると2.4GB
 手持ちのメモリーキーが256MBだったので新しく買う破目になった。
 後々使っていけるし問題ないでしょう。
 ELECOMのやつが安かった。
 って言うかそれしかおいてなかった。
 さすが田舎の電機屋!

 
 結局のところなかなか思うような色が出ず、印刷屋さんを困らせたのでした。
 もう少し濃くとか・・・・こう、サイケデリックな赤とか・・・。
 そら自分が印刷屋でもこんな客イヤですわ。

 最初に話を持って行ってから出来上がるまで半年かかったかな。
 20回は通った。
 というか会社を抜け出した。

 最初は上製本で考えていたんだけど購買層を考えて並製本に変更した。
 上製本っていうのはいわゆるハードカバー。
 表紙が固いやつです。
 一般的な写真集はこれ。
 高級感あるし写真集にぴったり。

 並製本はソフトカバーって呼ばれるもの。
 何でこっちにしたかというとカミオンの影響が大きい。
 巷に出回っている唯一の情報源、アートトラック雑誌といえばカミオンだけ。

 そのカミオンを見慣れている人にとってハードカバーの写真集はどう写るだろう?
 かなり違和感があるに違いない。
 実際、decotoraを最初手に取ったときの違和感は大きかった。
 これは購買層が違うと思った。

 自分が表現したかったもの。
 それこそタイトルにあるREAL = 本当、ホンモノ
 
 ただそれを写真屋さんたちが当たり前的に愛用するような形式では表現できない。
 もっと自然で真実に近い表現をしたい。
 アートトラックファンにおいて最も身近な雑誌カミオン。
 アートトラックファンに最もかけ離れた写真集decotora。

 自分の写真集は両者の中間を狙った。

 
 それにしても製本を途中で変更をしたのは申し訳なかった。
 印刷屋が一番苦労していた。
 糸で留めるか、接着するか。
 とにかくコート紙40枚を留める経験がなかったようだ。
 一般的には上製本するところ。
 こちらなら問題なく製本できる。

 最終的には接着に落ち着いたが割れやすさは残った。
 こればかりは仕方がない。
 こちらが無理を言っているのだから。
 

 印刷物の値段はピンキリだが写真集も内容によって大きく変わる。
 製作部数については最後まで悩んだ。
 
 写真集の仕様
  A4
  全ページカラー
  80ページ+表紙
  並製本

 部数によって見積もり金額は変わる。
 ただ印刷機を動かすことにお金がかかるらしく多く印刷すればするほど1冊あたりは安くなる。
 参考までに・・・

  300部だと 70万円
  500部だと100万円
 1000部だと140万円
 1500部だと180万円
 2000部だと200万円
 

 一般的に写真集は3000部売れればヒットしたといわれる。
 この写真集がいったい何部売れるかは見当がつかない。

 ただ一つの目標として1000部作ることにした。
 半分しか売れなくてもそれは市場の評価。
 仕方がないこと。

 ただ自分の写真は一部の狭?い熱狂的なファンで成り立っている。
 自分を知らない人に対してはアピールする格好の材料にあるに違いない。
 実際、写真集を作って売って顔が割れると世界が大きく変わった。
 だから、今オッカケしている人たちに言いたい。

 出費以上の成果はある。
 

 だからみんなで出そう写真集。